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2018.07.07 16:00  マネーポストWEB

三国志武将で優秀なビジネスマンは誰だ? 張魯に学ぶPR戦略

三国志武将で優秀なビジネスマンは誰だ?


 日本で人気の中国小説といえば『三国志演義』だ。中学生の時に吉川英治『三国志』を読み、大学生の時に横山光輝の漫画『三国志』を読み、中学生の頃から光栄(現・コーエーテクモズ)のゲーム『三國志』シリーズをやり続けるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、「もしも三国志武将が現代のビジネスマンだったら誰が優秀か……」について考察する。

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 漢中を支配していた張魯がかなり優れたビジネスマンなのではないでしょうか。「五斗米道」なる「米を五斗(90kg)納めれば幸せになれる」的なことを提唱する宗教の3代目となり、宗教をベースとした国を築き上げます。これは会員制ビジネスの原点とも呼べるものでしょう。

 当時最強の勢力を誇っていた曹操は各所にケンカを売りまくって制圧していましたが、不思議と張魯に対して当初はスルーするというか、容認していた感があります。宗教に支配された国に対する畏怖の念を持っていたか敬意を持っていたのかは分かりませんが、孫権・劉備・馬超などをぶっ潰すことばかり考えていた曹操が張魯のことはスルーしたことについて、「なんか張魯って一目置かれていたんじゃねぇの?」と思います。多分、PR力が高かったのでしょう。

 現代の企業においても、「なんかすごそう」みたいな会社は時々ありますよね。具体名を挙げると「ワシらは本当にすごいのに失礼だ!」とその会社から怒られそうなので挙げませんが、「なんでこいつらは実体以上に過度な存在としてメディアからチヤホヤされておるのだ?」と思う会社はありますが、張魯の国もそんな存在です。

 そのPR力もあり、蜀(中国西部)の地を支配していた劉璋は隣国にいる張魯のことをかなり恐れていました。だからこそ同族である劉備を蜀の地に招き、張魯と当たらせようとしました。しかし、劉璋は当時は有力君主の一人だったはずです。3DSゲーム『三國志』の208年11月開始のシナリオ「臥龍出淵」は、赤壁の戦い前夜を描いたシナリオですが、この時張魯が漢中しか支配していないのに、劉璋は梓潼、成都、江州、永安の4つを支配しています。

 ゲーム『三國志』シリーズは相当な歴史考証を経て作られているので、これが当時の勢力分布図だったと見ていいでしょう。同シナリオの開始時を見ると、曹操が18か国を支配し兵士数は40万8000、2位は孫権で6か国26万4500人、そして劉璋は3位に入り4か国15万500人です。張魯は4位の馬騰に次ぐ5位で6万500人。劉璋が頼むに至った劉備は1か国支配で8位となる2万8500人の兵士しかいません。

 もちろん、劉備が劉璋に招かれて蜀に行くのは赤壁の戦いの後で曹操が一旦勢いを失い、劉備も「荊州4弱」を倒して勢力を拡大した頃なので劉備の勢力は圧倒的に増えています。しかし劉璋ですよ。なんでお前は小国である張魯を自分で叩かないのだ。しかも、張魯のことを「怖いよ怖いよ」と言い続ける始末。私の知り合いの敏腕広告マンは、「あの人はなんかすごい人脈を持っていて、下手すりゃ総理大臣も動かせるらしいよ」みたいなことを言われることもありますが、勝手に日本を動かすフィクサー的な扱いをされ、本人も特にそれは否定しません。何事も「大物だと勝手に思ってもらえる」方が得するわけです。張魯はそれをよく分かっていたといえましょう。

 そのように思ってもらえるのも「宗教で国を治めていた」という一風変わったガバナンスを発揮していたからでしょう。「あの国は敵に回すと怖い」といった感覚を抱かれていました。今のビジネスマンでいえば、前出の広告マン的な人もそれにあたるでしょうし、やたらとツイッターのフォロワーが多いサラリーマンやPVの高いブログを運営するサラリーマンもそれに相当するかもしれません。張魯のセルフブランディング力はなかなかのものがありました。

◆あの馬超までも屈服させた手腕

 結局、張魯という君主は、「米を納めれば幸せになれる」ということで人心を掌握しつつ、さらには米という国家運営の基盤を成す実利も得られるという偉業を達成するわけです。さらには、「我が国は強いからな」というイメージ戦略で曹操・劉璋・劉備をも震え上がらせる。

 挙句の果てには曹操に敗れて国を失った猛将・馬超とホウ徳を自身の配下に置くほどまでになります。その頃、劉璋は国を守りに来た劉備の増援要求に応えなかったことから逆鱗に触れ、逆に攻めたてられますが、そこで何を思ったか、張魯に対して「もしも劉備を倒してくれたら蜀の半分をあげるよ!」と泣きついてくるのです。

 ちょっとちょっと劉璋さん、お前、張魯と仲悪かったんじゃねーのかよ? 張魯に攻められるから劉備を招いたのに何をお前はやっとるのじゃ、この愚者が。と言いたくなる展開になるのですが、張魯は「いつかは恩義に報いねば……」と日々鬱勃たるパトスを抱く馬超を飼い殺し状態にして功を焦らせ、そのマグマが溜まりきったところで一気に劉備を攻めさせるという離れ業もやってのける。結果的に馬超は諸葛亮の調略もあり張魯から疑われ、劉備に降伏するわけですが、あの馬超を屈服させた手腕というものも大したものです。

 この部下掌握術、窮地に追い込まれた大物に恩を与えておいて飼い殺し状態にし、「ここぞ!」という勝負のタイミングでこのやり口というのは、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が、経営が悪化し満身創痍だったものの液晶技術等に優れたシャープを買収したのに通じます。鴻海の老獪な実力者の飼いならし術、張魯的ですねぇ。

 その後張魯は曹操に攻められて敗北するのですが、逃走の際、財宝を持っていくこともなければ、董卓のように洛陽を焼き払うとこともしなかったこの善行があって曹操は張魯を鎮南将軍に任命し、曹操配下につくわけです。五斗米道も滅亡することはなかった。

 負け戦になった時にやぶれかぶれの自爆戦術を取るのではなく、「こりゃワシの負けだ」とばかりに強者に潔く従うとともに、負けても「あっぱれ」「良心がある」と思わせるのは張魯のこの時の判断がもたらしたものといえましょう。

 しかも、自身の処遇も得たほか一族も曹操の下でポジションを与えられました。いわばM&Aをくらった社長が「ワシらはお前達の傘下に入るがそれなりの厚遇はしろよ、オラ」と要求し、それが通ったようなものです。ゲームの『三國志』でも張魯は曹操配下の武将として、三国志後期まで活躍を続けます。君主としての「名」は失ったものの、役員として「利」は取ったものといえましょう。

 三国志には他にも李粛、王允、呂蒙、張松、陳桂・陳登親子など優秀なビジネスマン的武将が登場します。かつて雑誌『プレジデント』では戦国武将や中国武将に学ぶ戦術的特集をよく展開していましたが、ああいった特集をまた読みたいなァ……と思い、今回張魯をホメさせていただきました。

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