小林:そうです。11歳のときに敗戦を体験し、荒廃した東京を見て、戦犯の処刑を見て身に染みたんでしょう。もう戦争は起こらないようにと祈り、アジアのあちこちに慰霊に出かけ、日本国民もそういう天皇の姿勢を見て、平和が尊いということを脳裏に焼き付けた。
矢部:私も今上天皇の凄さを知ったのは、沖縄問題を調べ始めてからです。それまでは美智子皇后は文句なしの「戦後スーパースター」だけれど、今上天皇はどちらかというと影が薄い印象でした。けれど、沖縄という視点から見ると実は非常にアクティブで強い意志をもった方だった。
1975年7月17日に皇太子として戦後初めて皇族として沖縄を訪問されたとき、ご夫妻の車列にガラス瓶やスパナが投げつけられ、さらにひめゆりの塔に献花に訪れた際には、新左翼の過激派から火炎瓶を投げつけられる事件が起きました。ご夫妻から数メートルの距離で火炎瓶が炎上し、現場は大混乱となった。ところが、そんな大事件が2回も起きているのに皇太子ご夫妻はスケジュールを変えず、慰霊の旅を最後まで続けられたのです。
小林:わしが学生だったころに起きた事件ですよ。当時、学生運動的なものをかじっていたから、火炎瓶を投げつけた写真が回ってきて、衝撃を受けた。でも、それに動じなかった今上天皇は本当に凄い。
矢部:昭和天皇がやり残したことを自分がやるんだという強い意志が感じられます。今上天皇はその後何度も沖縄へ慰霊に訪れるだけでなく、「沖縄の言葉(うちなーぐち)」の「琉歌」で、その思いを詠まれています。
〈花よおしやげゆん 人知らぬ魂 戦ないらぬ世よ 肝(ちむ)に願いて〉(花を捧げます 人知れず亡くなった多くの人の魂に 戦争のない世を 心から願って)