巨人入団時の打撃コーチだった縁から松井秀喜氏(44)との距離が近く、「松井」というカードを持つ中畑氏、監督として文句のつけようのない実績を誇る原氏。2人の“因縁”は、オールド巨人ファンにはある種の感慨とともに受け止められる。
大学球界で強打のサードとして鳴らした原が1981年に入団した時、三塁には中畑がいた。どちらをレギュラーにするかで当時の藤田元司・監督(故人)は悩みに悩み、最終的に原はセカンドにコンバートされて開幕を迎える。ところが5月に中畑が負傷。そこから原はサードを任せられ、中畑は復帰後ファーストにコンバートされた。師と慕う長嶋茂雄氏の“聖地”を後輩に奪われ、それから10年以上「サード・原」の時代が続いた。
その後も「エリート四番打者」として原が育てられたのに対し、中畑は「チャンスに強い絶好調男」。対照的なキャラクターで選手人生を終えた。巨人OBが語る。
「巨人監督の条件とされる“スター選手”という定義は明確ではないが、“エースか四番”という見方が妥当。その意味では四番を長く務めた(1066試合)原は早くから監督になることが約束されており、“代理の四番(219試合)”だった中畑は、指導者としては原の“陰”に置かれざるを得なかったのかもしれない」
※週刊ポスト2018年9月14日号