その後、〈畿内≒朝廷〉の反撃ともいえる南北朝時代を経て、最終的に勝利を収めたのは室町幕府。武家集団による京都の掌握は、三代目将軍の足利義満で頂点に達し、初めて〈関東≒武家集団〉が〈畿内≒朝廷〉に並び立ったといえるような状況になりました。それでも、室町幕府は京都に拠点をおいていたのですから、土地としての関東が畿内に並び立ったわけではありません。
◆愛郷心のない東京人
人と土地の集合体としての関東が存在感を増してくるのは、「関ヶ原の戦い」からです。戦国時代を終わらせた織田信長は勢力を拡大するにつれ、尾張(愛知県)から美濃(岐阜県)、近江(滋賀県)と居城を移し、京都に接近しました。その後、信長の跡目をとった豊臣秀吉は大坂城を建てます。それから、関ヶ原の戦いを制した徳川家康によって江戸に幕府が開かれました。これにより初めて、日本の中心が関東に移ったのです。
テレビや雑誌で「古き良き日本」というと、しばしば江戸時代のエピソードが使われます。それは、主要メディアが東京にあり、東京とその隣県、周辺の関東の人々を視聴者、読者として想定しているからでしょう。そうなると、せいぜい江戸時代までしか遡れない。関東の歴史意識の限界は江戸時代がいいところです。
しかも、その江戸時代も経済の主役は大坂でしたし、前期の元禄文化の実質は上方文化でした。江戸を中心とした町人文化が栄えたのは後期の化政文化です。