自分を睨みつける子供に〈違う〉〈武士の情けだ〉と弁解しつつも、〈攘夷なり!〉と叫ぶと罪悪感が消えた気がしてくる様が怖い。現にこの頃は同様の殺傷事件が相次ぎ、折しも横浜では翌日、豚屋火事と呼ばれる大火が発生。事件は迷宮入りとなっていた。その17年後。実松は結局何も語らないまま死亡し、片桐たちが背後関係を探る間にも、第2の事件が起きようとしていたのである。
◆敗者や弱者を見落とせない
松方デフレのあおりで実家の養蚕業が傾き、幼くして働きに出た直太郎や、元侍と思しき片桐や社主兼主筆の〈小柳雀村〉も、過去は今と地続きにあり、そんな誰もが抱える仄暗い傷こそが、この一見明るい銀座騒動記の影の主役だ。
「今年は明治150年ということで喧伝されるキラキラした明治も面白いけれど、その影の部分も見ないなら、歴史を振り返る意味なんてないと思うんです。それこそ明治16年は『秩父事件』の前年で、困窮した農民や士族の不満が顕在化しつつあった当時の空気や、時代に理不尽を強いられた敗者や弱者の存在を、歴史ミステリーを名乗る以上、見落とすわけにはいかなくて」
戊辰戦争では幕府方につき、会津、函館と敗走する間も、英国人を斬った三人組は罪と向き合ってきた。そして誰もが過去に苛まれながら生きる中、それを忘れるのではなく、赦す象徴が、敵将との結婚に踏み出した捨松だろう。
「言われてみればそうですね。尤も僕自身は7割書いてようやく真犯人がわかったくらい無意識・無計画な書き手で、捨松の独身最後の大冒険も、馬車が暴走したおかげで書けただけなんですけど(苦笑)」