• TOP
  • 国際情報
  • 親日を巡る旅、ロシアを破った日本にフィンランド人は熱狂した

国際情報

2018.10.17 07:00  SAPIO

親日を巡る旅、ロシアを破った日本にフィンランド人は熱狂した

軍事博物館に展示されている日本製の小銃

 そして迎えた1917年、第一次世界大戦およびロシア革命の混乱期に念願の独立を勝ち取った。だが、翌年1月、ソビエト政府の支援を受けて革命を目指す労働者階級の「赤軍」と、ブルジョア階級の「白軍」とが激突、ここに「フィンランド内戦」が始まった。

 約4か月に及ぶ戦いは、カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム将軍率いる白軍が、スウェーデンの義勇兵などの支援を受けて赤軍を打ち破った。

 その後の1932年にはソ連と不可侵条約を締結したが、1938年にソ連のスターリンはフィンランドに対して、東部国境の変更(西側への移動)およびフィンランド湾の4つの島嶼の割譲を要求。フィンランドはこれを拒絶したため、1939年11月30日、ついにソ連軍がフィンランドに侵攻を開始して「冬戦争」が勃発した。フィンランド側の総司令官は再びマンネルヘイム将軍であった。

 いざ戦いが始まると、劣勢と思われていたフィンランド軍が各地で奮戦し、ソ連軍の猛攻を見事に撃退したのである。だが1940年2月、態勢を立て直したソ連軍が再び侵攻し、同年3月にはカレリア地方など国土の約1割を割譲する講和条約を締結せざるを得なかった。

 ソ連の侵略はとどまるところを知らず、スターリンはフィンランドをポーランドのように抹殺しようとドイツに持ち掛けたが、この要求は拒否された。1941年6月にドイツがソ連に侵攻を開始するやフィンランドはドイツ側に立って参戦したのである。だが圧倒的物量を誇るソ連軍には抗しきれず、1944年に対ソ休戦協定の締結を余儀なくされたのだった。

 ロシアの統治を経験し、その後もソ連の脅威にさらされ続けたフィンランドの町には、それゆえに“ロシア”が漂っているのである。

コメント 0

SNSでNEWSポストセブンをフォロー

  • LINE:友だちに追加
  • facebook:フォローする
  • twitter:フォローする

関連記事

トピックス