結婚披露宴の際、カメラを片手に「高砂」まで駆け寄り、「河野! 河野!」と呼び止めた女子アナの先輩に対し、「私もう、『花田』です」と言ったという景子さん。キャリアを捨てて花田家に入る覚悟が既にできていたのだろうと当時、話題になった。
思えば、虎上氏の元夫人でハワイに拠点を置く美恵子さんは、ずっと「花田美恵子」の名前で女性週刊誌で連載を持ったり、商品開発をしたり、時折タレント活動もしている。彼女がどういう理由で花田姓のままなのかはわからないが、結婚した瞬間から「花田」をアピールし、離婚を機にきっぱりと花田姓に別れを告げた景子さんは、これまた景子さんらしい…と私には思えた。
個人の感想だが、「河野景子」と「花田景子」を比較したら、圧倒的に「河野」時代の景子さんのほうが華々しかったし、“らしかった”気が私にはするのだ。
上智大学在学中に“ミスソフィア”になって、『週刊朝日』の“紀信の女子大生シリーズ”で表紙を飾り、大きな話題を呼んでフジテレビに入社…というのは多くの人が知るところだが、同年代の女性にとっての景子さんは、『CanCam』のカリスマ読者モデルとして君臨していたことが、もっとも記憶に残っているのではないか。
読者モデルなのに表紙を飾り、読者モデルなのに海外取材も経験していた景子さん。フジテレビに同期入社した八木亜希子、有賀さつきさんに比べると、代表的な番組はなかったものの、1991年にはパリ支局の特派員となり、堪能な語学を活かして、キャリアアップしていくのだろうと誰もが思っていた。
そんな矢先に貴乃花と出会い、スピード結婚。結婚4か月目に長男を出産するのである。そこからの景子さんは、マスコミ宛ての文章にあるように「度重なる困難」を夫と「二人三脚で乗り越えてきた」。
2016年、自身の会社『ル・クール』を設立してからは、化粧品や海外旅行のプロデュース、講演、話し方教室など、女子アナ時代のキャリアを生かした活動に積極的だったのだ。
それを“出スギ”とみる相撲関係者もいたようだし、夫の貴乃花も、もっと部屋にいて弟子たちを守ってほしいという想いが募っていったことを週刊誌で告白している。が、部屋を支えるために、おかみさん自らが稼ぎに出ていたという相撲関係者も多いのである
そのとき、彼女の脳裏に「離婚」の二文字があったかどうかはわからないが、結果的に、起業してからの2年間でしてきた助走が、「河野景子」に戻って、一気にスピードアップしていくのではないか。