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2018.12.01 16:00  マネーポストWEB

勝谷誠彦さんへの感謝 人との出会いで仕事人生が開けた実例

勝谷誠彦さんへの感謝の思いを、親交の深かった中川淳一郎氏が綴る


 コラムニスト・勝谷誠彦氏が重症アルコール性肝炎により11月28日に57歳で亡くなった。同氏と親交が深く、ニコニコ生放送「勝谷誠彦×中川淳一郎ヘロヘロ対談」を行うほか、同氏の神戸サンテレビの冠番組『カツヤマサヒコSHOW』にも出演、勝谷氏の書籍の帯(推薦文)も書かせてもらったというネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、「仕事の広がりは誰と出会うか次第。オレは勝谷さんと出会って人生が開けた」と勝谷氏への感謝の思いを述べる。

 * * *
 勝谷さんと初めてお会いした2009年5月以来、お会いする時は必ずアホのように酒をガンガン飲んでいたのですが、その時の勝谷さんはいつも幸せそうでした。そして、私も酒(というかビール)は大好きなので幸せでした。2014年の秋だったと思うのですが、その年の夏、私は1日に15回吐くような状態が続いた日々もあったため、2か月ほど禁酒をし、なんだったらこのまま一生酒を飲むのはやめるか、とまで決意していた中、勝谷さんとテレビ番組で共演をしました。

 天王洲アイルのスタジオでの収録が16時頃に終わって勝谷さんの楽屋に挨拶に行ったところ、こんな会話になりました。

勝谷:淳ちゃん、仕事も終わったことだし、これから飲みに行くか?

中川:いやぁ、勝谷さん、オレ、酒はやめたんですよ。あまりにも体が苦しくて。

勝谷:どのくらい?

中川:もう2か月ぐらいです。このままやめちゃってもいいかな、と思ってて……。

勝谷:淳ちゃ~ん、2か月もやめたんだったら肝臓も完全に修復されているから今日は解禁日ってことにしようよ。せっかくオレとこうして会えたんだからさ!

中川:かっちゃーん、そうっすね! よし、オレ、今日は記念の解禁日に勝谷さんにお付き合いしていただき嬉しいっす!

勝谷:武蔵小山にいい飲み屋があるんだよ。そこに行こう!

 そこで、勝谷さんとマネージャーとともに、ウーロンハイが270円ぐらいだというのに、ロマネコンティが200万円する立ち飲み屋に連れて行ってもらい、私も2か月ぶりの酒を飲んだのでした。勝谷さんは「酒はやっぱいいよな~!」と言い、私も2か月ぶりの美酒に喉を潤わせたのであります。

 このように酒を愛した勝谷さんではありますが、結果的に酒が自身の命を削る結果になってしまった。その是非についてはここでは触れませんが、たった一人の人物との出会いが人生を変えることについて、述べさせてください――。

 私の人生は、勝谷さんと出会ったことで大転換したと思っています。2009年4月、ネットのニュース編集を3年やり続けた結論として『ウェブはバカと暇人のもの』という本を出版しました。それまでは梅田望夫氏の『ウェブ進化論』を筆頭とする「ウェブ2.0」的な文脈がネット上では支配的でした。つまり、インターネットというテクノロジーは人間をさらなる高みに連れていく“夢のツール”的な役割を果たすという言説こそが優勢でした。

 私の本はタイトル通り、その風潮に一石を投じるものでした。それまでウェブメディアも紙メディアも広告業界も、ネットの素晴らしさをこれでもか!とばかりに煽ってきただけに、「ついにこいつ、パンドラの箱を開けやがった……」となったのです。

 ここで何が発生するかといえば、私と私の本に対する「スルー」です。散々ネットを持ち上げてきたメディア及び広告業界は、「この本は読者様も広告主様も読まないでくださいね」的な態度を取り、黙殺を決め込んだようです。

 発売以来次々と重版がかかったのでよく売れていることは分かったのに、不思議とまったく書評が書かれない。編集者も不思議がっていたのですが、そんな中、初めて声をかけてくれたのが勝谷さんだったのです。

 当時、勝谷さんは『日経コンピュータ』の巻頭エッセイを担当していたのですが、同誌の編集者から「勝谷さんが『ウェブはバカと暇人のもの』を絶賛しているので、ぜひお会いしたい、と言っています」と連絡があり、2009年5月、東京・麹町の勝谷さんの事務所の入ったビルの1階打ち合わせスペースで取材をしていただきました。

 勝谷さんは会った途端「いやぁ~! 面白かったよ! ようやくこんな本を書くヤツが出たか、と嬉しかったよ!」と相好を崩し、私と握手をし、肩を叩いてくれました。そして、いきなり「淳ちゃん、もうさ、なんでこの本書いたのかとか教えてよ!」と椅子に座りながら、コーフン気味に前のめりで取材を開始してくれたのです。

◆勝谷さんに書いてもらった記事が「壁」をぶち破ってくれた

 約1時間の取材が終わる直前、こちらも言いたいことを言ったら勝谷さんは突然こう言ってくれました。

「淳ちゃんさぁ、今から焼肉行かない? 淳ちゃんも好きなプロレス好きが集う店があるんだよ!」

 もちろん、こんな素晴らしいオファーを断るわけもなく、四ツ谷の焼肉屋の近くまで編集者と勝谷さんと3人で、タクシーで向かいました。当時は1メーター710円でしたが、この710円の距離で降りたところ、勝谷さんは運転手には1000円札を渡し、「お釣りはいらないよ」と言います。

 私は「290円もらい損ねてもったいないじゃないですか!」と言ったら勝谷さんは「いいのいいの。タクシーは1000円が最低単位と思っておけばいい。これで運転手が気持ちよく仕事できれば社会は良くなる」と言います。

 その後は、焼肉屋で酒を大量に飲んでどんちゃん騒ぎとなるわけですが、勝谷さんは「淳ちゃんは飲みっぷりいいなぁ! いいぞ! 気にいったぞ!」みたいなことを言ってくれ、この時私は「あぁ、昔から伝説の編集者・ライターとして知られ、今はテレビにも出ている勝谷誠彦さんと一緒にいるんだなァ……」と幸せに浸っていました。

 当時、私の両親は自分の息子がパッとしないフリーライターをやっていることに危機感を覚えていました。せっかく博報堂という世間で言えばまともな会社に入ってくれた自慢の息子が、完全にドロップアウト組になってしまった……。もう「近所の人が羨む息子」ではないのか……。

 そうした忸怩たる思いを両親は持っていたことは知っていたので、勝谷さんと会っている様を見せれば親も安心するかと思い、実家の母に電話をしました。「今、あの勝谷誠彦さんと飲んでるよ。安心してくれ。オレはこんな人とも一緒に仕事をしている」と伝え、勝谷さんにも「オレがちゃんと仕事をしていることを伝えてもらえませんでしょうか」とお願いをしました。

 すると勝谷さんは「オタクの息子さんは真っ当なことを言ってる」「オタクの息子さんはこれから活躍するよ」みたいなことをまくしたててくれます。そして、恐らくは「いつも毒舌なコメント楽しみにしています」なんてことを母は言ったのでしょう。すると勝谷さんはこう答えました。

「コメンテーターが毒舌でなくなったら存在価値はないんですよ、お母さん、ガハハハ!」

 後に勝谷さんは朝の情報番組のコメンテーターを辞めることになりますが、そこには同氏の覚悟があったのかな、とも思います。

 さて、「誰と出会うか」をテーマに書くと宣言したわけですが、勝谷さんに取材してもらった記事が『日経コンピュータ』に出て以降、私の元には次々と執筆依頼、取材依頼、講演依頼が舞い込むようになりました。

 それまでは「この過激な本を書いた人に仕事を頼んでいいのやら……」といった気持ちを各人は持っていたのでしょう。ところが勝谷さんがその「壁」をぶち破ってくれたのです。以後、勝谷さんとは何度も飲みに行き、何度もネットの生中継をするなどし、さらには軽井沢の別荘にも行かせてもらいました。

 2016年頃、勝谷さんは唇を過度に動かし「ブッブッブッ」という音を発するなど以前とは異なる様子を見せていたため、体を心配していたのですが、2017年は兵庫県知事選に出馬するなど、元気になった様子で安心していました。出馬にあたってもメールをいただき、「淳ちゃん、ネットでの援護射撃頼むよ!」みたいなことを言ってもらえ「がってんでぇい、親分!」みたいに返事をし、応援の文章を書いたりもしました。

 こうして勝谷さんの思い出を書いてきましたが、結局今、私が様々な場所で名前を出して仕事をさせてもらう大きなきっかけを作ってくれたのは勝谷さんなんだな、と思っております。ですから読者の皆様方も、自分を盛り立ててくれる周囲の方々を本当に大事にしてくださいね。

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