コラム

最新コラム記事のRSS

藤子不二雄(A)さん 愛妻弁当を感謝のスケッチ 半世紀、病克服し作り続ける妻へ

2018.12.06 11:42

 漫画界の巨匠、藤子不二雄(ふじこ・ふじお)(A)さん(84)は、肉と魚が食べられない。“超偏食”の

 漫画界の巨匠、藤子不二雄(ふじこ・ふじお)(A)さん(84)は、肉と魚が食べられない。“超偏食”の夫のために、妻の和代(かずよ)さんは毎日、愛妻弁当をつくり続けた。脳出血で倒れ、体が利かなくなった後も、ずっと…。その月日や実に約50年。藤子さんが感謝を込めてスケッチなどで残していたお弁当の数々と夫婦の思い出を本にまとめ、来春出版する。(喜多由浩)

                   ◇

 本は、語りおろしエッセー『恐妻カズヨ氏の元気弁当』(仮題、小学館)。藤子さんが85歳を迎える来年3月の出版を目標に、追い込みの編集作業中だ。

 「出版社が最初に考えたタイトルは『愛妻…』。だけど、照れくさいじゃないですか。ワイフはジョーク好きで、面白い人。僕は頭が上がらないし、怒られてばっかりだから『恐妻』に変えたんですよ」

 藤子さんが、2歳下の和代さんと結婚したのが昭和41年。『オバケのQ太郎』などのヒットで、売れっ子漫画家として世に出始めたころ。和代さんは静岡の会社社長令嬢だった。

 お弁当づくりは、新婚当初から始まっている。藤子さんは、富山の禅宗の古刹(こさつ)の生まれ。食事はずっと精進料理だったため、動物性タンパク質はほとんど体が受け付けない。かけ出しのころ、あこがれの手塚治虫を訪ね、うな重をごちそうになったとき、一口食べただけで鼻血を出してしまったエピソードは有名だ。

 「ワイフは当初、僕の偏食を治そうと魚をお弁当に入れたんですが、どうしても無理。すると、僕のおふくろから一生懸命習って、タケノコのみそ煮や大根の葉をゆでてみそでいったよごし、といった“肉・魚抜き”の僕の好物料理を毎食、つくってくれるようになったのです」

 ところが、60年の大みそか、和代さんは突然、台所で倒れ、脳出血と診断されてしまう。左半身がマヒし、一時は言葉さえも失ってしまった。入退院を繰り返し、懸命の治療とリハビリで、かなり回復したが、左手は動かない。

 それでも和代さんは、右手1本で家事をこなし、藤子さんの“肉・魚抜き”弁当もつくり続けた。

 「ワイフへの感謝、リスペクト(尊敬)の意味で、最初はお弁当を写真で、後には、スケッチブックに描いて残すようになったんです。お弁当というのは、奥さんから夫へ、母から子へ…と特定の人への愛情を込めてつくるものでしょう。最近は、なくなりがちになっているのが残念ですよ。食事は人間を育てる大事な要素なんですから」

 漫画家には長寿の人がそれほど多くない印象だ。相棒の藤本、青春時代をともに過ごした「トキワ荘」の仲間だった石ノ森章太郎や赤塚不二夫も、60代から70代で亡くなっている。

 「昔は、漫画家の数が少なくて徹夜、徹夜の連続。オーバーワークのツケでしょうね。僕だけが残った。大酒を飲んだし、朝まで遊んだり、むちゃな生活をしていたのに、80歳近くになるまで、どこも悪くなかったんです。僕は人間には自然治癒力があるのを信じているし、ゴルフで体を動かすくらいで、他に何の健康法もやっていない。たぶん、ワイフがつくってくれる食事のおかげでしょう」

                   ◇

【プロフィル】藤子不二雄(A)

 ふじこ・ふじおえー 本名・安孫子素雄(あびこ・もとお)。昭和9年、富山県生まれ。小学校の同級生、藤本弘(後に藤子・F・不二雄)との合作で、26年に漫画家デビューし、『オバケのQ太郎』などがヒット。主な作品に『怪物くん』『プロゴルファー猿』など。62年にコンビ解消後は、藤子不二雄(A)として活躍。先ごろ、代表作『笑ゥせぇるすまん』の主人公の“生誕50年”を記念したカレンダー『日めくり ドーン!喪黒福造(もぐろ・ふくぞう)』を発刊。

本文を読む

マネーポスト不動産売却 NPSアプリで読めます NO! 海賊版・違法サイト
TOP