独歩の分身らしき作家・大津が、旅先で出会った人々の面影を描いた「忘れえぬ人々」は、明治31年発表の同名作の作中作。だがその2年後、再び旅に出た大津がしきりに思い出す人物と、堀江氏の心に残った人物は微妙に異なり、その違いに氏はあえて解釈を施さない。
〈読書をつうじて形成された記憶のなかで振られる後付けの傍点の意味を、深追いしないこと。書物のどこかで淡い影とすれ違っていた事実を、ありのままに受け入れること。その瞬間、頬をなでていたかもしれない、言葉の空気のかすかな流れを見逃していた情けなさと出会い直せた不思議を、大切にしておきたいのである〉
「例えば学生時代に読んだ本を、大人になって読み返すと、全然違うものに見えてくる。その日の天候や、手にした判型によっても、頁の上の景色は大きくちがってきます。
そうした個人的な体験も、じつは作品の一部なんです。作品の主題は一つとは限りません。細かい内容は忘れてもいいと思うんですね。この本を読んだ前日は映画に行ったとか、あの言葉が妙に目についたとか、とっかかりになる記憶のかけらがあればいい。周縁や細部にあるものこそ大事だということを、繰り返し書いてきたつもりです。
わかるわからないはべつとして、何度食べても飽きない本があるでしょう。その本を、わからないなりに読んでいたかつての自分と再会できるのも、再読の愉しみかもしれません」
まずは独歩の散文に登場する溝口の地名から多摩川べりを連想し、安岡章太郎『夕陽の河岸』を手に取った堀江氏。その中の〈「絶対的な孤独と諦念」を全身で示している〉〈鯉の不気味な姿〉から、〈私は鯉を早稲田大學のプールに放つた〉という、井伏鱒二『鯉』の一文を志望理由にした高校時代の自分を思い出す。そして連想はさらに瀧井孝作『父』へと、飛び石づたいに繋がってゆく。