◆地味な連載も許容する文学の強み
また『忘れえぬ人々』自体も数々の変奏を生んでおり、島崎藤村『海岸』、そこから同じ上総の海を描いた芥川龍之介『微笑』へと、堀江氏は読み進めていく。
「作家が海辺の町や村に滞在して見聞を記すのは、当時の流行なんでしょうね。書き手もまた、連想によって作品を生み出します。この流れは、途切れずに続いている。それは国内の作家に限りません。小山清の『小さな町』や野呂邦暢の『小さな町にて』は、市井の人々にあたたかい視線を寄せるフランスの作家フィリップの、『小さき町にて』の影響を深く受けています。先行者の仕事を、敬意と覚悟をもって継ごうとした作家たちに、よくぞ蔓を切らずにいてくれたと、年々感謝の念は強くなる一方です」
その野呂邦暢の『失われた兵士たち』から石原吉郎『サンチョ・パンサの帰郷』へ読み進むくだりや、元シベリア抑留兵の石原が愛読した『いのちの初夜』の作者・北條民雄と、ハンセン病者である彼の作品を紹介した川端康成との関係。さらにその川端と梶井基次郎とを結ぶ〈冷気〉に関する考察は、身震いするほど鋭い。
「北條が川端に書き送った〈きつと御返事を下さい〉のきつととか、表現の細部に躓くんです。川端の『掌の小説』に収められた掌編『骨拾ひ』でも〈私は顏がねばねばする〉の私が気になる。顔がねばねばするではなく、あえて私はと書く川端に、身体から意識を離して、自分を客観視してしまう幽体離脱のような印象を受けると言いますか」
そんな彼の掌編を題材に「『心中』を主題とするヴァリエイション」なる試作に挑み、当の川端に〈作者の心の隙を校正した〉と言わしめたのが若き日の梶井だ。彼らがいかにしてその冷気を共有するに至ったのか、堀江氏はひたすら読むことで考えようとし、〈他者の作品がほんとうに「分る」とは、どういうことか。軽々しく口にできないこの言葉の重み〉と対峙し続ける。