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家族・親戚がそんなに大事? 「血縁信仰」から逃れれば人生は楽になる

2019.01.12 16:00

 人間の悩みの多くは「人間関係」に依るが、その中でも多くの人が「何よりも大切なもの」と小さい頃から教

 人間の悩みの多くは「人間関係」に依るが、その中でも多くの人が「何よりも大切なもの」と小さい頃から教えられてきたのが家族や親戚といった「血縁」だ。しかしながら、この「血縁信仰」から逃れることで人生は楽になると語るのは、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏だ。以下、中川氏が解説する。

 * * *
 この15年ほど、年末年始を海外で過ごしています。途中何回か日本で過ごしたこともありますが、最後に日本で過ごしたのは2009年末です。休みが年末年始しか取れないという事情はあるものの、今年行ったタイ・バンコクでツイートした以下の内容が少しだけ拡散しました。

〈年末年始に海外に行く習慣を10年以上続けていた結果、この10年間、一回も誰かにお年玉をあげたことがない。あとは親戚の会合も一切ない。「あのコは毎年どっか海外に行ってるのよ」と説明してもらい、そうした場にいないのが当然のこととなっているので極めてラクな年末年始を送り続けている〉

 これがすべてなのですが、私は私の家族、父方・母方の親戚及び私の姉の家族の総勢50人ほど(甥やいとこの子供、義兄の親族なども含む)と一切会うことがないがために発生する偽らざる気持ちです。

 私の考えは世間一般からすれば非常識なのかもしれませんが、「血の繋がり」といったものにそれ程執着を感じていないんですよね。もちろん、遺産相続の問題や介護の義務など、血の繋がりがもたらすモノがあるのは分かります。それはそれで今後キチンとこなすつもりですが、「血が繋がっているから」というだけで関係を神聖視する必要はないのではないでしょうか。

「毒親」という言葉があったりしますし、血の繋がりがあるがために付き合わざるを得なくなった結果、不幸になってしまう人もいます。血の繋がりを軽視せよ、と言いたいわけではなく、もしも気が合わない、嫌いなのであればそのことを明言し、距離を置いたり縁を切る(ただし、法律上必要なその後の義務には従う)という考えでもいいのでは。

 こんなドライな考えに至ったのは、血縁者との接点がなくてもまったく困らない状況にこの20年以上いるからです。親にしても自分のことを独立した一つの存在として見てくれているし、姉も名古屋で子育てに奮闘していて、実弟に時間をかける余裕などない。いとこ連中にしてもおじ・おばにしても同様です。

 学生時代の親友であろうとも、社会に出たら疎遠になるのが世の常。それなのになぜか「血が繋がっている」というだけで、年末年始やお盆には親戚の会合が発生し、誰かが死んだら葬式に行くこととなる。

「この伯父さん、一生で5回ぐらいしか会ったことないんだけど……」みたいなことを思いながらも、親族からの「血の繋がった者としての参加は必須である」プレッシャーに負け、参加し、香典の徴収係なんかをやることになります。

 一方、とんでもなく仲の良かった人が亡くなった際、その人の葬儀のために色々とやりたくなることがあります。それこそ、受付とかもそうですし、火葬場にも行きたい。しかしながらそんな時に「親戚以外は無理です」なんて言われてしまう。

 成功して羽振りが良くなった人のところに、突然、血の繋がりがあるという人物が出てきて、「私は困窮した人生を送っているので、遠縁ではあるがあなたに助けてもらいたい」と言われた、なんて話も聞いたことがあります。

 自分の人生において重要な人物は誰か――。これは時々考えた方がいいです。理由は、その方々が存在してくれているお蔭で自分は仕事が与えられ、日々の楽しみに繋がっていたりするものだから。それなのに、社会的コンセンサスの一部には、「20年会ったこともない血縁者」の方を非血縁者よりも重視すべし、みたいなものがあります。

 もしも、血縁者に対して違和感を持っているのであれば、こうした言説に対しては「私は血の繋がりよりも情の繋がりを求める」などと言って、冒頭で紹介した私のツイートの如く、親戚の中では「鼻つまみ者」「変わり者」として扱われるのを良しとしてみてはいかがでしょうか。

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