両国の絆は孤児救出の前、正確に言えば日露戦争(1904年)の頃から始まっていた。
日露戦争開戦前、後の初代国家元首となるポーランド社会党の活動家であったユゼフ・ピウスツキは、日露戦争を機にロシアに対する武装蜂起を考えた。これに対して、ポーランド国民連盟の代表ロマン・ドモフスキは、武装蜂起には反対だが日本への支持を表明し連携を考えていた。
ピウスツキらは、日本軍と共にロシア軍と戦う決意をもって「ポーランド軍団」の創設を提案し、またロシア軍の中のポーランド兵士の日本軍への投降、さらにシベリアにおける鉄道などへの破壊活動を日本に申し入れている。この当時の極東地域のロシア軍のおよそ3割がポーランド兵だったことから戦闘の重大局面におけるポーランド兵の離反は、ロシア軍にとって大きな痛手となったであろう。
ピウスツキは、日本兵の士気の高さや将校の有能さを高く評価していたといわれ、彼が軍事功労勲章の委員会総裁だったときの1925年(大正14年)、目覚ましい戦功を上げた日本軍将校51名にポーランドの勲章授与を決定(授与は1928年)したのだった。
ポーランドは、その後の敵味方に分かれた第二次世界大戦中も、水面下で日本と繋がりヨーロッパの情勢を報せてくれたという。
そして今年2019年は、日本とヨーロッパ随一の親日国家ポーランドとの国交樹立100年の記念すべき年なのである。
ワジェンキ公園の外には大きなユゼフ・ピウスツキ将軍の銅像が建っている。 私は、ピウスツキ将軍の前に立って深く頭を垂れ、未来の日ポ友好を祈念した。
【参考文献】/兵藤長雄著『善意の架け橋―ポーランド魂とやまと心』(文藝春秋)
※SAPIO2019年1・2月号