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2019.02.19 14:12  産経ニュース

妻が明かす西城秀樹さん 最期まで「引退」口にせず

 昨年5月に亡くなった歌手、西城秀樹さん(享年63)の妻、木本美紀さん(46)の著書が発行部数10万部を超えて支持されている。11月に発売された「蒼(あお)い空へ 夫・西城秀樹との18年」(小学館)には、伏せられてきた病状やステージをあきらめなかった姿が家族の視線から丁寧につづられる。ファンだけでなく、病気に苦しむ人からも「つらいこともあるけれど、元気をもらえた」などの声が寄せられているという。(油原聡子)

 同書で初めて明かされたのが、秀樹さんの壮絶な闘病生活だ。脳梗塞は2回と報じられていたが、実は繰り返し発症しており、闘病生活は17年に及んだ。

 詳しい病状は伏せられてきた部分も多いだけに、出版には迷いや葛藤もあったという。美紀さんは「家族から見た秀樹さんの話をできたら、同じように闘病されている方に勇気みたいなものが伝えられるのではないかと思ったんです」と打ち明ける。

 秀樹さんの脳梗塞が初めて報道されたのは平成15年6月だが、このとき、実は「2回目」だった。

 ■繰り返した脳梗塞

 本当の1回目は13年秋、美紀さんが第1子の妊娠中だ。帰宅した秀樹さんが不調を訴え、病院で脳梗塞と診断され緊急入院した。

 マスコミには、たばこの吸いすぎによる二次性多血症と過労による脱水症状を起こして入院したと発表した。「元気で若々しい」という秀樹さんのイメージを守るためだ。美紀さんは、同書にこうつづる。

 《脳梗塞だった、ということになると、また入院したりしないかと、仕事をオファーしてくださる方は二の足を踏んでしまう(中略)当面の仕事にもご迷惑をかけているわけではないので『脳梗塞』とは発表しないと事務所で判断されました》

 退院後、これまでと変わらない生活ができたため、美紀さんも「定期検査をしてお薬を飲んでいれば大丈夫と思っていたんです」。しかし2回目の発症で、正しく発音ができなくなる「構音障害(こうおんしょうがい)」に。懸命のリハビリの末仕事に復帰したが、秀樹さんは血管がもろく、脳梗塞を繰り返した。

 23年12月の発症では、右半身にまひが残った。「2回目」と報道されたときだ。26年には、脳が萎縮し自律神経に障害が出る「多系統萎縮症」も発覚した。

 闘病の支えとなったのが家族の存在だ。3人の子供に恵まれ、足が悪くなってからも子供たちと公園で散歩したり、ショッピングモールに行ったり。「家族の前で弱音を吐くことはほとんどなかった。秀樹さんが前向きだったから、家族も明るくいられたのかな」

 ■ステージに情熱

 27年の還暦を祝うライブの後は、体調が優れない日が増えていった。

 それでも、30年4月14日に栃木県で行われたコンサートから戻った秀樹さんは、久しぶりに家族とのおしゃべりを楽しんだ。「話しかけても答えない日が多くなっていたので驚きました。秀樹さんはステージからこんなにも元気をもらっているんだと感じました」

 しかし4月25日、秀樹さんは夕食後、けいれんを起こし、救急車で搬送された。「脳死の可能性が高い。もって1週間」。医師の言葉は残酷だった。

 「信じられませんでした。戻ってきてほしくて、病室で秀樹さんのヒットメドレーをかけました」。5月16日、秀樹さんは63年の生涯を終え、旅立った。

 今もファンレターが届く。「秀樹さんは、コンサートからお手紙を持って帰るとうれしそうに読んでいました。『最高にかっこよかったって書いてあるよ』って。歌うことが力になっていた。最期まで『引退』は口にしませんでした」

 最期まで大スターの西城秀樹だった。

     ◇

【プロフィル】西城秀樹(さいじょう・ひでき) 本名・木本龍雄(きもと・たつお)。昭和30年、広島県生まれ。47年、「恋する季節」でデビュー。「傷だらけのローラ」(49年)でNHK紅白歌合戦に初出場した。54年には「YOUNG MAN(ヤング マン)(Y.M.C.A.)」で日本歌謡大賞などを受賞。郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれた。平成30年5月16日、急性心不全のため死去。葬儀・告別式には、関係者やファンら約1万人が参列した。

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