かつて明仁天皇は、63歳の誕生日会見(1996年12月19日)で、こんな発言をされています。
「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」
政治的発言と受け取られかねない言葉ですが、その背景には前年に起きた少女暴行事件がありました。
1995年9月に、米軍兵士3名が、12歳の女子小学生を拉致し性的暴行を加える事件が起きました。沖縄県民の怒りが爆発し、反基地運動が大きな盛り上がりを見せていたのです。
当時の渡邉侍従長によれば、右の誕生日会見での発言のすでに5か月前(同年4月)に、来日したクリントン大統領との会見でも天皇はまったく同じ言葉を述べ、それを聞いてクリントン大統領は「そういたします」と答えていたそうです。
その沖縄と並んで、天皇・皇后が深く気にかけられているのが被災地のことであり、とりわけ原発事故の被害に遭った福島については、繰り返し「新年の感想」のなかで言及されてきました。
◆「東日本大震災からは四度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます」
これは2015年の新年の感想です。実は明仁天皇はこの年まで4年続けて、「放射能汚染でかつて住んでいた土地に戻れずにいる人々」への思いについて述べられています。とくに2012年に「放射能汚染」という言葉を使われたのは、民主党の野田佳彦首相が「原子炉が冷温停止状態になったので、事故そのものは収束した」と宣言したわずか2週間後のことでした。