◆小泉の才能を認め作詞を勧める
田村氏の狙いはずばり的中。1983年から1984年にかけて、小泉は『艶姿ナミダ娘』、『渚のはいから人魚』、『迷宮のアンドローラ』、『ヤマトナデシコ七変化』など、ユニークなタイトルの曲を次々とヒットさせ、聖子・明菜に次ぐポジションを獲得する。その人気を決定づけたのが『なんてったってアイドル』(1985年)だった。
「小泉さんは当時、映画やドラマ、CMにも活躍の場を広げていて、いろんなクリエイターから注目されていました。楽曲制作に関しても『面白くて新しいことをやる人』というパブリックイメージを生かした挑戦を続けていきましたね。バンドサウンドを意識した『木枯しに抱かれて』(1986年)や、近田春夫さんと組んでハウスにチャレンジした『Fade Out』(1989年)はその代表例です」
1982年組の同期が徐々に勢いを失っていくなか、小泉は1990年代もヒットを連発。1991年には自ら作詞を手掛けた『あなたに会えてよかった』がミリオンヒットとなるが、小泉に作詞の才能を認め、書くように勧めたのも田村氏だった。
トップアイドルには、やはり名プロデューサーの存在が不可欠なのである。
【プロヂール】たむら・みつよし/1974年ビクター音楽産業に入社し、制作部で小泉今日子、とんねるず、広瀬香美らを担当。1997年、音楽制作会社「田村制作所」を設立し、SMAP、ポルノグラフィティ等を手掛ける。
◆取材・構成/濱口英樹
※週刊ポスト2019年4月26日号