製作終了から31年。男たちを魅了した女優たちはスクリーンから去った後、どんな人生を歩んだのか──。ロマンポルノがスタートした1971年、「ロマンポルノの星」というキャッチフレーズでデビューしたのが田中真理だ。
「17歳の時に、まだ一般映画だけを製作していた日活に研究生として入ったんです。ただ、身長が170cm近くあって、なかなか使い道がないと言われました。そんな時に雑誌で立木義浩さんの撮影でヌードになり、それを見た日活の方からロマンポルノに誘われたんです」
田中真理の名を一般まで広めたのは、一連の「ロマンポルノ裁判」である。デビュー2作目の『ラブ・ハンター 恋の狩人』(1972年)が、さらに5作目の『愛のぬくもり』(72年)が、立て続けに猥褻図画であるとして警視庁に摘発された。
「とりわけ過激だったとは思えません。なのに、なぜ私の作品だけ2作も摘発されてしまったのか……。1本だけなら“出会い頭の事故”と思ったけど、2本ともなると、さすがに『ふざけるな!』と思いました」
みずから法廷に立ち、東京高裁で無罪を勝ち取るまで足かけ9年もの長い戦いだった。いつしか「エロスの女闘士」と呼ばれたが、そのことで女優活動は大幅に縮小された。裁判の決着と同時に、女優業の一線を退いた。1981年に照明マンだった幼なじみの夫と結婚し、1女をもうけた。父親が経営していた「田中薬局」を継ぎ、子育てに励んだ。やがて、娘は成人して意外な職業に就いた。
「娘も大きくなりまして、ジャズダンスのインストラクターになったんです。私もママ友さんたちに交じって、教えてもらっていたんですよ」