そして日本代表を長く続けるのも想像以上に大変なこと。代表選手となればたとえ練習といえども投げられるわけにはいかない。ところが代表合宿の乱取りでは二番手、三番手が試合以上に本気でかかってくる。特に田村選手は注目されていますしね。私は10年も続かなかったけれど、田村選手は五輪に5大会連続出場していますから……。
時代にも後押しされました。1986年に男女雇用機会均等法が施行されて、女子柔道が1992年のバルセロナ五輪から正式種目になった。田村選手は女性の社会進出と歩調を合わせて活躍した。最後は「田村でも金、谷でも金、ママでも金」と有名な言葉を残しましたが、女性が社会進出するモデルケースとして共感を受けたと思います。
●取材・文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2019年5月3・10日号