──当初は苦労もあったのでは?
似鳥:40代はなかなか苦しかった。「100店舗・売り上げ1000億円」と公言しながらも、利益も店舗数もなかなか増えませんでした。
それでも「いかに安く商品を提供するか」という信念は変えなかった。そこで考えたのが、問屋ではなくメーカーからの直接仕入れ、さらには海外からの輸入を増やすことでした。
1985年のプラザ合意による円高もあり、「海外から安く買える、チャンスだ」とアクセルを踏みました。
とはいえ、当時は商品の品質が悪く、お客様からのクレームの嵐で返品の山。1989年頃まで大変な思いをしています。あまりにクレームが多いものだから、辞める社員も続出しましたが、私はそれでも「ウチが生きる道はこれしかない」と、輸入に軸足を置く考えを貫きました。ただ、当時の新卒採用者が、入社3年を経ずして半分以上辞めていったのは堪えましたね。
──どのようにして品質改善を成し遂げたのでしょうか?
似鳥:実現していくには設備投資が要る。メーカーに何度もお願いして、「将来、おたくからたくさん買うから投資してくれないか」と粘り強く依頼していった。
そうやって4割近くあったクレーム由来の返品を、まず3年で半分にし、5年で1割以下にした。10年で標準並みといわれる3%にまで返品率を下げることができた。
いま、当社の開発輸入品の比率は90%以上です。誰もが気軽に買える商品価格と高い品質・機能を両立させるには、従来のSPA、いわゆる製造小売業と呼ばれる事業モデルだけではダメで、そこに物流機能をプラスした。商品の企画や原材料の調達から、製造・物流・販売に至るまでの一連のプロセスを、グループ全体でプロデュースしていく「製造物流小売業」を確立したのです。