高齢者の場合、この経験による主観的判断が危険を生む。そこに「ポジティビティ効果」が働くからだ。高齢になってくると、不快な出来事や情報を無視して、自分にとって気持ちの良い、都合のよい出来事や情報ばかりに目が向いてしまうというポジティビティ効果が強くなりやすい。ちょっとどこかにぶつけたぐらいなら事故とは思わず、車庫入れがうまくいかなくなっても気にしない。さらにポジティブな出来事は思い出せるが、ネガティブな出来事は思い出せなくなってくる。だから彼らの自信は揺るがない。正常に運転できると思い込んでいる。
元院長が任意聴取になってもまだ、「ブレーキをかけたが利かなかった。アクセルが戻らなかった」と説明していることからも、高齢者の思い込みの強さ、怖さがわかる。事故車の分析では車の機能に問題はなく、アクセルを踏み込んだ形跡はあるが、ブレーキを踏んだ跡は残っていないことがわかっている。なのに元院長は、事故は認めながらも運転ミスは否定しているという。
高齢になれば、認知機能も反射機能も落ちる。心理学などの実験では、高齢になるほど確認回数が減り、反応時間が遅くなる。周りへの注意がおろそかになり、ペダルやハンドル操作が劣ってくる。一時停止をしなくなり、見通しが悪い交差点では速度を緩めないなど、危険な運転が増えてくることがわかっている。だが高齢者本人は、自分がそうなっていることに気付かない。例え気付いたとしても、自分の運転が危険だとは認めない、認めたくない。高齢者にとって運転は、自立や能力、社会性、プライドなどとつながっていることもあるからだ。そしてこういう人ほど、自信があると答えてしまう。
この事件から、免許の自主返納が増えているという。だが、運転に自信があるという高齢者が、率先して自主返納するとは思えない。それに都会と違い、人気番組『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系)ではないが、地方に住んでいると車がないと生活が成り立たない高齢者がいるのも事実だ。運転することが自立や生き甲斐になっている高齢者もいるだろう。
これから高齢ドライバーはどんどん増えていく。検査や講習、自主返納を促すだけでは、痛ましい事故を防ぐことできないなら、高齢ドライバーが運転する車を変えていくしかない。