だが、ネット動画を配信するサービスが広がると、事情は少しずつ変わっていく。イベントに足を運ぶような熱心なファンでなくても、日常的にゲームをプレイする人々の映像を見られるようになっていったからだ。すると、映像を見ているのは「ゲームを実際にプレイしている人々」だけではなくなった。ゲームの対戦映像を見ることそのものを楽しむファンが増えたのだ。野球ファンは、常に野球のプレイヤーではない。ボクシングファンのうち、実際にボクシングをしている人の割合はとても少ないはずだ。
スポーツは、それを「実際にプレイする」ことだけを指すものではない。プロスポーツ選手をはじめとした、優れた人々の競技を「見て楽しむ」という要素、優れた人々に憧れる、という要素もある。eスポーツの本質とは、高額な賞金にあるのではない。「見て楽しむ」「応援する、憧れる」といった、プロスポーツとファンの関係に近いものが成立する、という点にある。
■プロの育成やセカンドキャリアには課題も
ゲームビジネスの収益は、これまではゲームの販売やサービス利用料金が中心。そこにキャラクターなどのマーチャンダイズ料金が追加される程度だった。だが、ゲームを見て楽しむ人が増えるということは、そこからの収益が生まれる可能性が高くなる、ということである。
すでに述べたように、ゲームを見るのは、プレイするよりも手軽だ。それだけ、広く薄く収益を集められる可能性が出てくる。しかも、ゲームのプレイを見せることは、それそのものが、ゲームにとって大きなプロモーションともなる。それだからこそ、ゲームメーカーにとってeスポーツは新しい収益源として注目の存在なのだ。
だが、そうした特性こそが、eスポーツと他のスポーツの違いとも言える。
スポーツは、世界中で同じルールで争われるものであり、ルール改定はあるが、存在自体が大きく変わってしまうことはまれだ。ユニフォームも戦術も変わってはいるが、50年前も今も、サッカーはサッカーだ。「ブレインスポーツ」と言われるチェスや囲碁、将棋なども、ルールはそうそう変わらない。
だが、ゲームは商品である。ゲームをしないと人々からは同じように見えるかもしれないが、バージョンアップによってルールや有利不利など含む「ゲームバランス」は定期的に変化する。商品が大きく代替わりし、続編が出ることもある。宣伝としての意味合いも大きいため、eスポーツが扱う「競技」であるゲームは変わって行かざるを得ない。この点は、他のスポーツと大きく違う。そのことでゲームがスポーツではない、と断じる要因にはならないが、大会運営などの扱いは変わらざるを得ない。
また、生まれたばかりの分野なので、プロの育成やセカンドキャリアなど、「プロゲーマー」という職業に絡む問題もある。
反射神経や視力の衰えは、ゲームの腕に大きく影響する。長時間駆け引きをするには、集中力の維持も必要だ。経験や判断力でカバーできる領域もあるが、他のスポーツと同様、加齢による衰えはある。ゲームのプロとして、一生賞金だけで稼ぐのは不可能だ。また、ゲームは日々変わっていくため、「ゲーマーをプロとして育てる」のも難しい。ゲームそのものでどう勝つか、うまくなるかは、結局自分で編み出さねばならない。「指導」できるのは、生活スタイルや稼ぐための方法論といった、プロとして生活するための外堀にあたる部分、といっていい。プロゲーマーのマネジメント手法も確立していない。
プロスポーツに似た特性を持ちながら、新しいジャンルであるがゆえに未成熟な部分もあり、一方で大きなお金が動いている。そのアンバランスさが、eスポーツの課題といえる。一方で、そうした危うさを含む部分もまた、勃興期ならではの魅力、ということもできるのだが。