〈僕が控え室に行くと、ジャニーさんがトシちゃんのマネージャーに『(稲垣)吾郎が芝居上手いんだよ』と興奮気味に話していた〉
ジャニー氏は事務所にとって大きな話し合いの直後も、SMAPという新鋭について考えを巡らせていたのだ。
この約10日後、1989年4月開始のNHK連続テレビ小説『青春家族』のキャストが発表され、稲垣の名前が連なっていた。1990年も映画『さらば愛しのやくざ』に出演し、役者としての能力を伸ばしていった。
稲垣に限らず、SMAPのメンバーは歌手デビュー前からソロとして活躍していた。森且行は1988年、『3年B組金八先生』(TBS系)の第3シリーズに生徒役として出演。1989年、『ツヨシしっかりしなさい』(日本テレビ系)では主演を務めた。木村拓哉は同年、蜷川幸雄の舞台『盲導犬』で鍛えられている。
SMAPの『がんばりましょう』がヒットチャートを賑わせた1994年、ジャニー氏はこう語っている。
〈普通はグループを結成してだんだんうまくいかなくなると個々の活動をはじめるのですが、SMAPは逆。はじめから個々で活動させているわけです〉(『週刊女性』1994年12月6日号)
バラエティ進出だけでなく、もう1つ“ソロ活動を積極的に行なう”という戦略も見事にハマった。世の中が光GENJIフィーバーに沸いている頃も決して浮かれることなく、次のグループをどうプロデュースするかを熟考していた成果が現われたのだ。