そこから高倉は俊藤と距離を置くようになる。任侠映画が飽きられ、本人も飽きていた。俊藤プロデュース作品には出なくなり、東映を飛び出して、『幸福の黄色いハンカチ』(松竹、1977年公開)に主演、性格俳優への道を歩む。だが、義理堅さは変わらなかった。
「健さんは、律儀な人やった。ボスの命日は1981年11月25日。東映を離れて何年も経つのに、健さんはボスの七回忌まで毎年、誰かと鉢合わせせんようにと、命日の早朝、墓参りを続けとった。七回忌の後、わしのところに『これを区切りにします』という連絡をもらって、初めて知ったんやけどな。その後も、毎年、『高倉』と書かれたお線香を贈ってくれた」
●いとう・ひろとし/1955年福岡県生まれ。東洋大学文学部哲学科卒業、編集プロダクションを経て、ジャーナリストに。経済事件、暴力団事件などの取材に定評がある。主な著書に『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』など。
※週刊ポスト2019年8月9日号