その他、長井さんが指導したことのある政財界人は数知れない。元衆院議員の音楽家、喜納昌吉氏やディー・エヌ・エー(DeNA)の守安功社長、ミドリムシで有名なユーグレナ創業者の出雲充社長、フューチャーCEOの金丸恭文氏など。過去には囲碁好きで知られるお笑いコンビ、アンガールズの田中卓志氏とも手合いをしたことがあるという。
「私はプロを目指して囲碁を打つ日々からは逃げ出してしまいましたが、人に囲碁を教えるのはとても楽しくて充実した時間です。普段はお会いできないような有名な方々から『先生、先生』と言われるのは気恥ずかしいですが……」
じつはインストラクターになる前の長井さんの“囲碁人生”は、決して順風満帆ではなかった。
「人と違うことをやらせたい」という父の教育方針から9歳で碁を覚え、地元の子ども囲碁教室に通っていたという長井さん。その後、碁好きが高じて、13歳でプロを目指して日本棋院の養成機関である「院生」となるも、挫折や不運が次々と彼女を襲った。
「それまで勉強やスポーツは器用にこなすタイプだったのに、碁は勝手が違いました。練習してもなかなか成果が出ませんでしたし、一局一局、勝ち負けがすべての厳しい世界で、何度もプレッシャーに押しつぶされそうになりました。
そして、碁の限界を感じ始めていた15歳のとき、父親の事業がバブル崩壊で傾き、家を出なければならなくなったんです。妹は叔父のいるアメリカへ移り住み、私は行くところがない。そんなときに、師匠が「住まわせてあげるよ」と言ってくれたので、内弟子になりました。
住み込みになったからには、真剣にプロを目指さなければと思い、全日制ではなく単位制の高校に入学し、碁に専念しよう頑張りましたが、やはり才能のなさを痛感してしまって……。17歳できっぱりプロ棋士の道は諦めることにしました」
その後、大学検定試験を受けて慶應大学環境情報学部に見事合格した長井さんは、入学当初こそ囲碁部主将(女子部)として女子学生選手権で準優勝するなど実力を発揮していたが、2年生以降はしばらく囲碁の勝負の世界からは遠ざかっていたという。