今の母はサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)の食堂で、提供される食事を同じ居住者と一緒に食べる生活。母自身もそれを喜んではいるが、内心では独居老人として不甲斐なさも感じているのだろうか。
父の急死で母が独居になり、認知症が悪化した時、主治医に日記をつけるよう指導されたことがあった。長続きはしなかったが、初めのページにはこう綴られていたのだ。
「困難でも、食べることだけはちゃんとしようと思う」
ハッとした。認知症でも失われない賢明さとともに、孤食になった母の姿にあらためて気づき、胸が張り裂けそうだったことを覚えている。その後見る見る激やせした姿を見て、サ高住への転居に踏み切ったのだ。
おかげで母は小太りの体形も明るさも取り戻したが、どこか母の尊い決意を無にしてしまったような思いもあった。
転居から5年、認知症も進んだが、ひとりでも食事を疎かにしない人に共感した母の言葉はうれしかった。意気投合のキーワードはきっと“ちゃんと食べる”だったのだ。高齢者率の高い午後のカフェ。こんな同志にも出会えるのだから、行く甲斐がある。
※女性セブン2019年10月31日号