中内が最初に立ち止ったのは、当時まだ珍しかった手作りのパン売り場だった。中内は目測で約5メートル離れて目をつむり、あの大きな鼻でスーッと大きく息を吸い込んだ。そしてしばらくして大きくうなずいた。合格のしるしだ。匂いがしなければ即刻、店舗改装を命じられる。
驚いたのは、野菜売り場だった。中内は店の一番前のザルに盛られたモヤシにつかつかと近づくと、売り場主任の頭からモヤシをザルごとぶっかけた。随行員に後から聞いたところによると、あのモヤシは表面こそ鮮度がよさそうだったが、中はかなり傷んでいたという。恐るべき執念を目の当たりにした。
戦場での飢餓体験に始まった中内の経営哲学は、戦後の日本が豊かさに向かうなかで圧倒的成功を収めたが、豊かになった後の平成においては、自滅に向かう宿命だった。私はその過程で『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』(1998年刊)という本を書き、中内から3億円の名誉毀損訴訟を起こされた。だが、中内はある側近にぼそっとこぼしていたという。
「ダイエーはなくなるかもしれない。でも佐野の『カリスマ』は残っちゃうな」
その後、中内は2001年に引退、ダイエーはその3年後に産業再生機構入りした。明晰な中内は、ある時期からその宿命に気づいていたのではないか。
今、中内が生きていたら、アマゾンを始めとするネット通販にどう対抗したか。人の顔を見ることが商売だと考えていた中内にとって、ネット通販は想像すらできなかったはずだ。戦後日本の限界が中内の限界だった。(談)
※週刊ポスト2019年11月8・15日号