その理由は、安倍首相の左手の仕草にある。首相は左手でスーツのジャケットの襟部分をしっかりと掴んでいる。ボタンが閉められているにも関わらず、前を合わせようとしているようなのだ。この仕草から見て取れるのは、安倍首相の警戒心。予定にはない文大統領の行動に、無意識のうちにいぶかしんで警戒し、リラックスするどころか緊張感を持ったのではないだろうか。胸襟を開き、腹を割って話す気などさらさらないどころか、この対話を歓迎していなかったようにさえ感じられる。安倍首相のこの仕草だけでも、韓国政府のいう「歓談」とはほど遠い印象を受けたのだ。
両首脳の身体や足の向きも同様だ。文大統領はソファに浅く斜めに腰掛け、身体だけでなく足も安倍首相の方に向けているのに比べ、安倍首相は上半身こそ文大統領の方へ向けているが、足はほぼ前を向き、大統領の方へは向いていない。本音は足に出るとよく言われるが、対話に積極的なのは文大統領だけで、安倍首相からは話したいという意欲が感じられない。
仮にこれがアメリカだった場合、イメージを重視し、どんな時でも自分が優位に立ちたいトランプ大統領なら、こんな写真は絶対に公表しないはずだ。だが、アメリカからも日韓関係の改善を求められている韓国は、それをアピールできる材料として両首脳が椅子に座って対話したという事実が欲しかったに違いない。そのため写真が人々に与える印象なんて考えもせず、スマホのシャッターを押したのだろう。
写真を無断で公表したという以上に、両首脳の仕草が与える印象が日韓関係の現状を投影していることもなどお構いなしに写真を公表した韓国からは、強い焦りしか見えてこない。