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2019.12.03 16:00  マネーポストWEB

6割以上が教育格差を「容認」の異常事態 諦めるしかないのか?

「教育格差」が容認される風潮になりつつある

 来年度から始まる大学入学共通テストで導入予定だった英語の民間試験について、萩生田光一文科相の「身の丈」発言が「教育格差を容認する」として、猛批判を受けた。だが、萩生田氏の発言は、図らずも、不利な状況にある家庭と地域に育った多くの子供たちが、自らの『身の丈』に合った生き方を選択することになる『教育格差社会』であるということを改めて浮き彫りにする形となった。

 実際、大規模社会調査では、生まれた「地域」や「家庭」によって、大学進学率が大きく左右されることが明らかになっている。

 さらに、昨年、朝日新聞社とベネッセ教育総合研究所が実施したアンケート調査で、受け入れがたい事実が明らかになった。

「所得の多い家庭の子の方がよりよい教育を受けられる傾向をどう思うか」という質問に対し、「当然だ」と答えた人の割合は2004年は3.9%だったのに対し、2018年には9.7%にまで増加。「やむを得ない」の52.6%を含めると、実に6割以上の人が教育格差を容認していることがわかる。「問題だ」と感じている人は、かつては半数以上いたのに、直近ではたったの34.3%だった。

 本来、すべての国民が平等に教育を受けられることが、民主主義国家の大前提であるはずなのに、多くの人がどこか諦めていて、「受けられなくて当然」という風潮が築かれつつあるのは異常事態と言っていい。『上級国民/下級国民』(小学館新書)の著者で作家の橘玲さんが指摘する。

「これまでは、『どんな子供でも教育の機会さえ平等にあれば、がんばった分だけ伸びていく』という“教育幻想”があり、それで社会が成り立っている側面もありました。しかし、高校が全入になり、大学も行きたければどこかには入れるようになると教育のありがたみが薄れ、『子供の教育にお金をかけてもたいしたメリットはない』というように教育幻想は崩れてきているのではないでしょうか」

 だが、かつての日本には教育格差のない社会もあったという。

「明治維新より以前は、武士の子供だけが出世できる身分制社会でした。しかし、明治維新で四民平等になると、旧制高校が各地に整備され、農民でも商人でも教育の機会を得られるようになりました。また、第2次世界大戦で国土が焼け野原になった後も、各都道府県に国立大学が設立され、各地域で平等な教育を受けられるようになるなど、同様の“ガラガラポン”が起きました。

 しかし、70年以上も平和で自由で豊かな資本主義社会が続くうち、富める者はより富み、そうでない者は貧しいままという経済格差が拡大。そして、それが教育格差にもつながっているのでしょう」(橘さん)

『アンダークラス──新たな下層階級の出現』(ちくま新書)の著者で早稲田大学人間科学学術院教授の橋本健二さんも続ける。

「戦後、復興とともに格差が広がり続け、いちばん拡大したのは1960年頃。それから高度経済成長によって格差はどんどん縮小し、『一億総中流社会』といわれる時代が到来しますが、1975年頃に格差が最も小さくなって以降は反転し、また格差は拡大し続けています」

 甘んじて受け入れるほかないのだろうか。

「まずは、国の税金で賄っている国立大学が定員を増やし、学力が平均レベルの子でも入れるようにするべきでしょう。アメリカでは、裕福な家庭の勉強ができる子は私学に行って、そうでない子は学費が基本無料の州立大に行きます。そうしたお金による格差を最低限なくす努力は国ができるはずです。

 また、個人でできることとしては、お金のかかる習い事よりも、まずは食事や睡眠など、基本的な生活習慣を子供に身につけさせることが何よりも重要です。その習慣が身心の健康をつくり、生活サイクルが生まれることで日々の勉強も習慣化できます。塾へ行くお金が捻出できないのなら、親も一緒に勉強してあげるのも有効です」(橋本さん)

 現実に横たわる「教育格差」を嘆いて、諦めるだけでは何も変わらない。「身の丈」に合ったものだけを選択するのではなく、子供の可能性を信じることが大切だ。まず親が意識を変えること。それが第一歩かもしれない。

※女性セブン2019年12月5・12日号

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