いや、疲れたとは言えなかったのだろう。政子の世代の女性にとってみれば「長男の嫁が親を看取る」のは当然のことだったはずだ。彼女と同じように、遠方からこの集落に嫁いできた住民が言う。
「私も長男の嫁として夫の親を介護しましたが、たとえ体を壊しても、夫の兄弟に介護を頼むことは、とてもできませんでした」
もちろん、だからといって弟やその嫁らが悪いわけではない。日本の古い家父長制の中では、財産などの相続では長男が圧倒的に優遇されるので、その分、親の世話は長男夫婦が担うという風潮が強い。それでも、ひとりで3人を介護するとなれば、心身ともに疲弊する。
施設への入所は叶わない。であれば「長男の嫁が面倒を見ることが当然」──政子だけでなく、親にとっても兄弟にとっても、そんな意識があったからこその、結論だったのではないか。
一方で、親にとっても施設には入りたくなかったし、他人の手で介護をされたくなかったのかもしれない。なにも、ワガママで言っているわけではない。それが、「尽くしてくれる、村いちばんの嫁」の評判を守ることだったのではないだろうか。
「嫁の体面」を守るためにも、施設ではなく、家で死にたかった。とはいえ、死ぬ時期ばかりは自分で決められない。
事件の約3か月前、岸本家を訪ねた知人は、志のぶにこんなことを言われたという
「はよう死にたいけど、死なれへん」
自らの存在が、村いちばんの、自慢の嫁を苦しめている。そう思っていたのではないか。
日本の地方に残る家族の共助の姿。美しい伝統である一方で、医療が進歩し、要介護期間が長くなった現代では、残酷な因習でもあるのだろう。
◆家族が共倒れにならないためにすべきこと