一生涯を、趣味を楽しみながら生きるのは素晴らしいことだし、働くかどうかは個人の自由だが、それが許されない時が必ず来る。団塊ジュニアはもうおじさんおばさんになり、若さゆえの体力や順応する力を失っている。若者だった頃から同じ生活を続けてこられた人も、それを変えねばならないタイムリミットは平等に訪れる。下手をするとそれが「死」かもしれない。親も永遠ではないし、自分自身もそうだ。もう40過ぎどころかアラフィフだ。
串田さんもこのまま無職でいいとは思っていない。いずれまたバイトを探す、バイトでなんとかなるとは言っていた。運が良いことに都内の雇用状況は非正規に限れば人手不足だ。母親の年金と串田さんのバイト代をあわせれば、団地の家賃は幸い安いので実際のところなんとかなるだろう。串田さんは3DKの団地の一部屋をずっと子供のころから自室にしてきた。いわゆる子供部屋おじさんだが、母親の面倒をみるというならそれもありだろう。
世間一般の他人と比べれば、串田さんはもういろんな意味で間に合わない人だ。だが幸せなんて十人十色、串田さんは趣味に走っている限り、裕福ではないかもしれないが満ち足りて生きていられるかもしれない。串田さんはある意味、社会の競争からは降りて自己完結の欲望のまま生きている。笑うなかれ、趣味趣向は違っていても、世の中の多く、とくに男などこんなものである。自分の部屋で画像加工とファイル交換をしている限り、大事件には至るまい。ただ、くれぐれもレイヤーのみなさんにご迷惑をかけないようにとは言っておいた。
自己完結したなかで生きているとはいっても、串田さんは決して孤独ではないし、世の中にまったく興味を持っていないわけではない。この取材に関しても基本的に面白がって喜んでいたし、彼には多くの同好のカメコ仲間がいる。
「結束は固いよ。みんな同じ世代だ」
みな1980年~1990年代の、アングラ文化の申し子ということか。ただ、性の搾取やハラスメントに対する権利への意識は、昔に比べれば確実に上がっている。団塊ジュニアに限らずその上の世代も含めて昭和の男は、昔の価値観のまま、おおらかに考えてしまう感覚が根強い。当時のそういった文化を表現していた媒体の加担者であった私だからこそ、自戒も含めよく知っている。
「無敵だからね、俺。欲望のまま生きるよ」