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2020.02.13 15:59  週刊ポスト

河原さぶ 勢いがあった頃のロマンポルノの思い出

河原さぶが「全盛期」を振り返る(写真/共同通信社)

 1971年にスタートし、監督やスタッフ、俳優や女優など多彩な人材を輩出したロマンポルノ。現在の邦画の隆盛の礎ともなったロマンポルノとは、いったい何だったのか? 主な出演作に『人妻暴行マンション』(1985年)、『母娘監禁 牝』(1987年)、 『BU・RA・Iの女』(1988年)などがある河原さぶが、当時を振り返る。

 * * *
 あの頃は何でもがむしゃらにやったよね。ロマンポルノっていうのは女優がメインだから、お客さんからしたら、俳優は別に誰でもいいわけ。それでも演じるほうとしては、主役だから意気込んだね。テレビや映画だったらほんの数シーンしか出番がもらえなくても、ロマンポルノだったら主役を張れるんだから。みんなそこからどんどん大きくなっていったよね。

 当時、ロマンポルノっていうのはものすごい勢いがあったんだよ。あの有楽町の日活がやるっていうんだから、インパクトも大きかった。ロマンポルノだったら「演技をしたい」「俳優になりたい」という“志”が出せるわけですよ。セックスシーンに行くまでのストーリーがあるから、女優さんもちゃんと演技をする。つまらない女優さんは消えていきますよね。

 お客は女優の裸とセックスシーンを見たいわけだから、最初の15分間で席を立たすなという指令が日活からありました。私が出演した『性的犯罪』では、崔洋一監督が「セックスシーンは、普段やっているようにやってくれ。普段はそんなふうにやってないんじゃないの?」なんて言うわけ。ああ、そうかと思って股間を女優のほうに本当に当てていくわけですよ。

 股間は前貼りでしっかり隠してあるけど、陰毛があるから剥がすのが大変なんだ。それで私はおちんちんに包帯を巻いたりして、色々と工夫したなぁ。

 当時は生きていくのに一生懸命でした。仕事だと思って一生懸命やって、これがいつの日か本当の俳優になるための布石になるだろうと信じていた。そしたら、いろんな監督から声をかけてもらえるようになり、僕としては出世の第一段階になったわけです。

※週刊ポスト2020年2月21日号

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