財政難で中止していた雪まつり「ゆうばり寒太郎まつり」では協賛金が全盛期の10分の1しか集まらないなか、業者に頼み込んで重機をタダで借りて設備を整え、よさこいを踊る場所を探していた学生グループに声をかけて参加してもらった。2009年2月、鈴木氏の奮闘で15年ぶりに復活した寒太郎まつりは大盛況となった。
2009年7月には学生ボランティアとともに市内の全世帯を訪ね歩いて住民の生活意識を聞き、分厚い報告書を作成した。その成果は財政再生計画に盛り込まれた。
当時、市役所関係者は鈴木氏の手腕をこう評していた。
「『これは無理だろう』と外から見ていたことが、彼がかかわるとなぜかできてしまう。不思議な魅力にみんなが引き込まれて、ボランティアで協力しちゃうんです。もともと夕張は炭鉱労働者の町で、“お金がなければ、みんなで助け合えばいい”という文化があったのですが、外から来た鈴木くんに改めて夕張の歴史を気づかされた気がしました」
◆約束された都職員の道を捨て夕張市長選に
2010年3月末に2年2か月の出向を終え、後ろ髪を引かれる思いで都庁に戻ったが、半年後に夕張の未来を憂う市民の有志から、「市長選に出てほしい」との要請があった。
当時の鈴木氏はローンで埼玉県内の分譲マンションを購入し、婚約者もいた。都職員を辞めて市長選に立候補しても当選の保証はなく、たとえ夕張市長となっても月収は約26万円で年収は都職員より200万円下がる。普通に考えたら出馬はあり得ない選択だったが、3週間ほど悩み抜いた末に出した結論は「よし、出よう」だった。