文菊が「化けた」と気付いた僕はこの「妖しい魅力」を深く味わいたいと思い、翌日横浜にぎわい座での「よこはま文菊開花亭」を当日券で観ることにした。ネタ出しは『お見立て』『百年目』。文菊の『お見立て』は、喜瀬川花魁の投げやりでやさぐれた態度の中にネットリとした色気があるのが特徴的で、喜助の「若い衆らしさ」はこれぞ古今亭。杢兵衛を必要以上に下品にせず、あくまで廓噺として演じている。
圧巻だったのが『百年目』。屋形船で鼻に掛かった声で「ネェ~」と甘える芸者たちの騒々しさは文菊ならではの楽しい演出だが、特筆すべきは風格に満ちた旦那の品の良さ。優しさの中に威厳がある。向島の花見で芸者たちと派手に遊ぶ番頭と遭遇した翌朝の、説得力ある台詞廻しは聴き応え満点だ。
帳面を改めたが、穴はない。あの出来の悪い小僧だった治兵衛が、自分の稼ぎであれだけの遊びができる立派な商人になったと思うとボロボロ涙が出た、と打ち明ける旦那。「もっと早く店を持たせてやるべきでした。お前さんにはすまないことをしましたね。来年きっと店を持ってもらいます。それまでもう少し、この店のことをお願いしますよ、番頭さん!」それを聞き、ただ泣くばかりの治兵衛……。
持ち前の柔らかで粘り気のある語り口が、もともと上方落語である『百年目』の本質に合致しているように思えた。こういう演者は、ちょっと他には見当たらない。以来、僕は本格的に文菊を追いかけている。
●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。
※週刊ポスト2020年4月3日号