きたる東京五輪のため、政府や東京都などは東京全体を改造する計画を進めており、原宿駅もその計画の一環に組み込まれた。
「原宿駅は新駅舎がつくられたことで、いったん“解体”します。しかし、報道されているような“解体”という話ではありません。いったんはバラすことになりますが、復元する方向でJR東日本と協議をしています」と話すのは渋谷区都市整備部まちづくり課の担当者だ。
長らく原宿のランドマークでもあった木造駅舎は、地域住民や地元商店街関係者などからも愛される存在だった。そのため、渋谷区の長谷部健区長をはじめ地元住民や商店街関係者からも木造駅舎の解体に反対する声があがった。こうした反対があり、渋谷区・JR東日本、そして関係する諸団体が協議を重ねた。繰り返し話し合いの場が設けられたこともあり、「近隣住民や商店主などからは、理解をいただいている」(渋谷区都市整備部まちづくり課)という。
原宿駅と同様に、国立駅も最近まで木造駅舎の解体か保存かで揺れていた。赤い三角屋根がトレードマークの国立駅舎は1926年に竣工。こちらは、鉄道省の河野傳が設計を担当。
わずか2年の差で都内最古を譲ることになったが、それでも国立駅舎が貴重な建築物であることに変わりはない。それだけに、赤い三角駅舎に親しみを抱いていた国立市民や利用者は少なくなかった。
国立駅の赤い三角屋根駅舎は、中央線の高架化工事によって姿を消すことになる。
駅舎解体をめぐって、一部の市民から保存を要望する声があがる。市民の要望を受け、国立市は駅舎の保存を模索した。
中央線の高架化は時代の要請でもあり、中央線が通過する三鷹市・武蔵野市・国分寺市・立川市などと歩調を合わせる必要もある。国立市の反対だけではどうにもならない。そうした事情から、高架化は避けられない情勢だった。
なにより駅舎の保存は、莫大な資金が必要になる。しかも使わない駅舎を維持していく資金も必要で、それには市民の理解が欠かせない。
しかし、市議会は駅舎保存の予算は否決。諦めきれなかった市民と国立市は、粘り強く保存活動と交渉を続けた。高架化のタイムリミットとされた2006年までに妙案は出ず、国立駅舎はいったん解体されてしまう。