報道陣を前に口を真一文字に結び、無念の表情を浮かべる柔道の山下泰裕と、「参加できなかったら、今までの努力は何だったのか」という1976年モントリオール五輪の金メダリストであるレスリング・高田裕司の言葉。スポーツが政治に屈した象徴のシーンとして語り継がれてきた。
しかし、そこに瀬古の姿はなかった。早稲田大時代から師事し、卒業と同時に共にヱスビー食品に籍を移した名伯楽・中村清が配慮し、瀬古には伝えなかったのだ。
「オリンピックだけがマラソンではないと、ボイコットが決まる前から先生に言われていました。だから僕は、すぐ年末の福岡国際、翌年のボストンマラソンに集中するように頭を切り換えられた。
それでも、引退後、Qちゃん(高橋尚子)や野口みずきさんが金メダルを獲ってヒロインになっていく姿を見ると、もし自分がモスクワに出ていたら……という悔しさはありました、正直ね」
JOCおよび全日本柔道連盟の会長を務める山下、日本レスリング協会の副会長である高田など、モスクワで“幻の代表”を経験した人物が現在、各競技団体を牽引するケースは多い。日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーである瀬古も然りだ。
3月24日に1年の東京五輪延期が決まると、即座に瀬古はMGCなどを経てマラソン代表に内定していた男女6選手の代表権維持を表明した。
「モスクワの教訓からです。出られるのか、出られないのか不安を抱えたまま練習することなんてできません。1日でも、1時間でも早く、内定していた選手を解放したかった。(新型コロナが収束せず、仮に東京五輪が再び延期となったら?)最悪の事態は考えています」
※週刊ポスト2020年5月8・15日号