逃走の際の様子が本人から明かされた
〈目的地がない移動です。自首する勇気もなかったので捕まるまで行くあてなく彷徨っていました〉──便箋を開くと、目に飛び込んでくるのは、びっしりと埋められたクセのある鉛筆書きの文字。手紙の主は、2018年8月に大阪府警富田林署の接見室アクリル板を壊して逃走した樋田淳也・被告(32)である。
盗んだ自転車で関西地方から四国、中国地方へと向かい、逮捕されるまでの49日間で、山口県周南市まで計1000kmを移動。この間、大阪府警が投入した捜査員は8万7000人──。
そんな“大捕物”を繰り広げた樋田被告に対する裁判員裁判が、6月8日、大阪地裁堺支部で始まった。樋田被告は21の事件で起訴され、同支部は加重逃走や強制わいせつ、窃盗を含む18件について裁判官だけで審理し、5月に17件を有罪とした。今回の裁判員裁判では、逃走前に犯したとされる強盗致傷罪など3件を審理することになっている。
樋田被告は約1年にわたる手紙のやりとりで、いまだ全容が明かされていない逃走生活を克明に記録していた。署を飛び出してからの行動について次のように記している。
〈署を出てからは、羽曳野市まで行ったあとは、中央環状線を西に向かいました。夜なので車の流れはありましたが、住宅街は人も見かけなかったことを覚えております。同じところに一人のときは長期間滞まりたくなかったので、大阪を出てからは移動し続けていました。(中略)初めの頃は筋肉痛や長距離移動で足がつることもありました。自転車で峠を下っている時にブレーキのワイヤーが抜けて前輪がブレーキをかけられなくなり、あと少しで谷に落ちるところでした〉(樋田被告の手紙から。以下〈〉内同じ)
自転車を西に走らせながら、樋田被告はあらゆる方法で食いつないでいたことを明かす。