恐怖による支配こそが中国政府の常套手段である。中国の農村でフィールドワークの最中に公安当局に身柄を拘束された経験がある阿古教授はこう指摘する。
「『法律ができても大したはことない』という人もいますが、自由を奪われるという恐怖は、経験した者でないとわかりません。法律より政治が優先される中国では、市民活動を支援している弁護士や大学教授が次々と拘束され、発言の機会を奪われています。またインターネットや監視カメラなどを駆使して徹底した監視体制を敷き、恐怖政治を推し進めています。日本に留学している中国人学生は政治について語ることをためらい、日本の研究者やジャーナリストも『中国に逆らうと現地で拘束される』『発言に気をつけないとビザが下りない』などと忖度して、中国に批判的な発言を避ける傾向があります」(阿古教授)
阿古教授が現地で経験した中国当局による取り締まりの恐怖を、“取り締まられる側”の視点から疑似体験できるのが、全国で順次公開中の映画『馬三家からの手紙』だ。映画は、法輪功の熱心な学習者である孫毅(スン・イ)氏が中国当局から監視・弾圧される様子を描くドキュメンタリーで、北京在住の孫毅氏とカナダに住む映画監督のレオン・リー氏が当局の目を盗んでスカイプで連絡を取り合い、孫毅氏自ら中国国内でカメラを回して撮影を進めた。中国当局による取り締まりの生々しい様子を隠し撮りした映像は、世界中で大きな反響を得た。
孫毅氏の歩んだ人生はドラマチックだ。法輪功の活動で政治犯として捕らえられた彼は、2008年~2010年、中国東北部にある「馬三家労働教養所」(2013年に閉鎖)に収容されて強制労働に従事し、時には拷問や洗脳を受けた。その際、当局の人権弾圧を告発する手紙をひそかに書いて、労働で作成する輸出用の飾り物に忍ばせると、その後、手紙は8000キロ離れたオレゴンの主婦ジュリー・キースに届いた。この「馬三家からの手紙」は欧米メディアでセンセーショナルに報じられた。
教養所から釈放されたのちにリー監督を知った孫毅氏は、前述のように中国の現状を世界に伝えるべく撮影を開始したが、その後、中国当局に逮捕された。体調悪化で釈放されたが、そのまま中国国内にとどまっては危ないと判断し、同年12月、孫毅氏は監視の目をかいくぐってインドネシアのジャカルタに脱出、亡命を果たした。
映画のクライマックス、孫毅氏は手紙を見つけたオレゴンの主婦ジュリーとジャカルタで対面を果たす(2017年春)。初対面なのに長年連れ添った家族のように打ち解ける2人のやり取りが観客の心を打つが、直後のエンディングでは衝撃の事実が明かされる。映画の撮影終了後、孫毅氏がジャカルタで謎の急死を遂げたというのだ。