──アメリカ・サンフランシスコに降り立ったときの貯金は100万円ちょっと。そこから、がむしゃらに働く日々が始まります。
英月:食べていくために必死でした。レストランのウエイトレス、日本語教師、おせち料理を作って売るなど……、やりたいことではなく、できることは何でもやらなければいけない状態でした。私がアメリカにいる頃、日本は就職難の時代だったんですが、それでも日本で就職活動している人がうらやましいと感じるほど大変でしたね。
──辛いとき、日本に帰ろうとは思わなかった?
英月:それは一度も思わなかったです。発想したこともなかったです。いま思えば、日本に私の居場所がなかったんでしょうね。
──三十路からでも、素人であっても、何を目指してもいい。英月さんはアメリカで「こうあるべき」という価値観から解放され、のびのび仕事をするようになっていきます。働くことが楽しくなっていったのでしょうか?
英月:楽しくなったというより、仕事に対する向き合い方が変わりました。日本にいたときは、たまたまいい会社に勤めることができ、お給料や福利厚生にも恵まれていたんです。そんな会社に「ください」ばかり。もらうことばっかり考えていた。
反対にアメリカでは、自分が会社に対して「何ができるか」を考えました。英語をちゃんと話せない私を雇ってくれている恩義も感じましたし、もちろんクビになると困るから、少しでも貢献しなければいけない。銀行時代の上司が見たら、絶対びっくりするやろうな、っていうくらい変わりました(笑)。でも、自分の意思で変わったわけではないんです。環境が自分を変えてくれたんですね。
──しかし、“デキる”自分に鼻高々になっていたことに、あるとき気付く。とはいえビジネスにおいて、頑張って結果を出せば認められるのは当然で、頑張ること=悪ではないとも感じます。
英月:はい。頑張るのはいいんです。素晴らしいことなんです。でも、それをよりどころにすると、人は危うくなるんですね。頑張ってる自分をよりどころにすると、自分は正しいと正義をふりかざすようになるし、ひいては他者を打ち負かすことが目的になってしまうこともあります。いま思い返すと、アメリカ人の同僚より自分のほうが優秀だといい気になっていたことが恥ずかしいです。
といっても、努力したら認められたい、頑張ってる自分が誇らしいと思うのは当然のこと……。本当に難しいですが、よりどころにしたら危ういんだ、ということに気付かされることによって、その後の人生が違ってくると思います。