◆ラブレターじゃなくてただの手紙ね
学校生活は「あいうえお」を書く練習から始まった。
「先生が作ってくれたプリントで読み書きを練習するのですが、何度も何度も繰り返し書かないと身につかず、苦労しました。特に年齢のせいか一度覚えたと思ってもすぐに忘れてしまう(笑い)」
まさに死にものぐるい。半年経つと、住所と名前が書けるようになった。数年経つと、たいていの漢字は読めるようになり、新聞を読むことが日課になっていた。そんなある日、「60才のラブレター」という懸賞企画が目に留まった。
《僕は今、夜間中学校で勉強をしています。勉強が出来たら、苦労をかけた、君にラブレターを書こうと思っています。君は読んでくれると思います。これからもずっと君と一緒に長生きしたいです》
はがき一枚に綴られた短い、しかし愛のこもったメッセージは、見事入選。賞金でふたりは沖縄と北海道を旅行した。
それから数年後の71才のクリスマス。保さんは「改めて、手紙という形で思いを伝えたい」と初めてのラブレターを皎子さんに贈る。それが冒頭の内容だ。便せん7枚にわたる“大長編”を、「ラブレターじゃなくて、ただの手紙ね」と、皎子さんは笑って受け取った。その目には涙が浮かんでいた。
その後も、保さんは学校に通い続ける。3通目のラブレターにはこう書いた。
《これからも二人で一日でも長生きしたいですね。今度生まれ変わったら又君と出会いたいです》
そう願ったのもつかの間、 2014年のクリスマス目前の夜、皎子さんは帰らぬ人となった。
「『お風呂入りや、先どうぞ』と言ったのが最後の会話になってしまった。長いな、と思って様子を見に行ったら、もう…。体に力が入らないまま、何日も過ごしました」
そんな保さんを奮い立たせたのは、葬儀に来た夜間学級の先生や級友たちだった。
「みんなの顔を見たら、“冬休みが明けたら、学校に行こう”と思えたんです。妻もぼくが学校で学ぶことを喜んでくれていました。だったら通って、しっかり卒業することがいちばん、皎子の供養になると思ったんです」
学校に復帰した保さんは、それまで以上に勉強した。文化祭で屋台を出したり修学旅行にも行った。遅咲きの青春を満喫し、今年の3月、晴れて卒業を迎えた。
「勉強はいまも毎日続けています。秋には、北海道の夜間学校での講演に呼ばれています。いまはそのときに何を話そうかと学校で習ったパソコンで作文を何度も手直ししているところです」
笑顔の皎子さんの写真に見守られながら、保さんは今日も机に向かう――。
※女性セブン2020年7月9日号