404年に火災で焼失するが、413年には再建。532年のニカの乱と呼ばれる暴動で再び破壊されるが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)中興の祖とされるユスティニアヌス1世により様式を一新した上での再建が進められ、537年にはビザンツ建築の最高傑作として完成した。落成式典に臨んだユスティニアヌスは、感動のあまり、「ソロモンよ、余は汝に勝てり」と叫んだと言われている。古代イスラエルの名君ソロモン王の築いたエルサレム神殿を上まわる壮麗さ。ユスティニアヌスはそう信じて疑わなかったのだった。
その後も何度か震災や火災に見舞われるが、基本的な外観に大きな変化はない。8〜9世紀に展開された聖像破壊運動では内壁のモザイク装飾が剥がされる被害にあったが、運動の終息後、再び見事なモザイク画が描き直された。
アヤソフィアのキリスト教の大聖堂としての歴史に終止符が打たれたのは、1453年のコンスタンティノープルの陥落、すなわちビザンツ帝国滅亡時だった。オスマン帝国の統治下、華麗なモザイク画はすべて漆喰で覆われ、聖堂全体もモスクに転用された。ダマスカス(シリア)のウマイヤド・モスクもそうだが、このような転用はイスラーム世界ではよくあることだった。
時代は下り、トルコ共和国では1934年の閣議決定を受け、アヤソフィアを博物館に改め、翌年から一般公開を開始した。漆喰が除かれ、モザイク画が無事であったことが確認されると、宗教的な寛容姿勢の象徴として大いにもてはやされた。
◆旧大聖堂のモスク化にキリスト教界が反発
以来、イスタンブール屈指の名所として連日、多くの観光客を集めてきたのだが、それだけに今月10日、トルコのエルドアン大統領がモスク化決定を発表するや否や、驚きと同時に怒りや反発の声が多くあがった。