父母に仕送りを続けた青年将校
同書には、安田少尉が事件に至るまでに実家に書き送った手紙が多数紹介されている。それを読むと、「クーデター」を企図し、「反乱軍」の一部を指揮した軍人とは思えない、一人の純粋な青年将校の素顔が見えてくる。
たとえば、二・二六事件の4か月前にあたる昭和10年10月には、両親あての手紙の中で、陸軍将校向けの生命保険(3000円=現在の価値にしておよそ600万円相当と推測)に加入したことを報告している。しばらくは結婚するつもりもないため、その保険の受取人を当時まだ幼かった妹(三女・久恵)にしたと明かし、続く11月の書簡では、翌月から実家あてに毎月10円ずつ仕送りすると書かれている。
〈拝呈仕り候[中略]/尚 今般参千円の生命保険に加入 受取人は妹久恵に致し置き候間御含み下され度候/是十四五年の間は 結婚する考も無之候えば久恵にて宜しかる可く候/二三年間に戦争等勃発仕り候折は勿論の事にて三十年にて満期とか 最も確実なる偕行社の将校保険に候[中略]/父母上様/(昭和十年十月二十日)〉
〈拝呈 砲工学校入校のために出京 姉の家に落ち付きました/旅費の関係で帰省しませぬ 年末には一寸暇がありますが帰省を見合せて金でも送りましょう/十二月からは一月に十円必ず送りますから今迄は悪しからず[中略]/父母上様/(昭和十年十一月十日)〉
さらに、事件の一か月半前には、実家を離れた妹(次女・土の)の代わりに女中を雇うようにと父親に提案し、その費用は自分が負担すると明言している。
〈謹呈 益々御清栄の事と存じます 土のが本渡町に行った間 手が足らなくて御困りでしょう/年に五六十円出したら女中がやとえるでしょうから 金は私が出しますからたのんで下さい[中略]/父上様/(昭和十一年一月十一日)〉