さて、この川崎病の発見者川崎富作博士が六月五日に亡くなった。九十五歳であった。数年前まで現役の小児科医として診療を続けたという。川崎病は川崎博士が一九六一年に発見し一九六七年に論文発表したので、この名称となった。
しかし、発表当時日本は公害列島と呼ばれたほどあちこちで公害が発生しており、工業都市川崎も大気汚染に悩まされていた。そのため、川崎病は川崎市で起きた公害病だとの誤解が広がり、川崎市は多大な迷惑を蒙った。半世紀を経た現在、川崎市は公害禍を克服し、東京隣接の人気住宅地となっている。
医学的な発見・発明には、川崎病に限らず、発見者・発明者の名が付くことが多い。もちろん、その栄誉を称えてである。パーキンソン病はイギリスの医師パーキンソンの発見によるものだ。コロナ予防の効果が期待されているBCGも、フランスのカルメット(C)とゲラン(G)が開発した弱毒桿菌(B)の頭文字を組み合わせた名称だ。人体の各部位も、解剖学者の名称が付けられる。マルピーギ小体もチン小帯もウェルニッケ野もそうだ。
こうして病気名でも子々孫々まで一族の誉れとなるのだが……。
十七世紀デンマークのバルトリン家は解剖学者を輩出している。バルトリン腺、バルトリン液もその名を冠したものだ。だが、私は、子孫の女性、特に娘たちは近所の悪童たちのからかいの的になったり、痴漢に狙われたりしたのではないかと、心配になる。誉れも良し悪しである。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会理事。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2020年8月14・21日号