経済成長と公害問題の狭間で
前出の村井氏は、長期政権には2種類あると指摘する。総理を複数回経験することで増える通算在職日数は、「首相としての成長を計る」指標であり、それに対し連続在職日数は、「時代とどう対話し、その時代の課題にいかに対応したか」の指標となるという。
安倍首相は通算で桂太郎を抜き、そして連続でも佐藤を抜いて歴代最長となった。しかし、時代の課題に成果をあげるのは容易ではない。安倍内閣は内政ではアベノミクスをはじめ、女性活躍社会、一億総活躍、人づくり革命などのスローガンを次々に掲げたが、いずれも掛け声倒れだ。
一方の佐藤の看板政策は「社会開発」だった。柱は住宅供給と公害対策である。
当時の日本は池田内閣の高度成長路線によって農村から工業地帯に労働者が大量供給され、都市部では住宅不足が深刻化した。佐藤は「一世帯一住宅」を掲げて1965年に「地方住宅供給公社法」を成立させ、1970年までに国と地方を合わせて680万戸の住宅建設をめざす「第一期住宅建設五か年計画」をスタートさせる。これによって多摩ニュータウンをはじめ全国で団地建設が進められ、都市郊外にベッドタウンが広がっていった。
また、工業化で水俣病など4大公害の被害が広がり、その対応に追われた佐藤は1967年に「公害対策基本法」を成立させた。
住宅政策も公害対策も、経済成長の歪みがもたらした社会問題であり、佐藤内閣は約8年間を通じて高度成長の“負の遺産”の対応に迫られた。