「十月の羽田」から「三月の江古田」まで半年に亘る物語は、事件こそ起きずとも、行く先々で夏子が出会う人や場が確かな残像を刻む。例えば父を客として初めて乗せた時、たまたま2人で降り立った川で夏子は思う。〈中川。川っぷち。何の縁もなかった場所〉〈場所との縁は、こんなふうに生まれるのかもしれない。もう来ることはないだろうが、後々、ここがわたしの思い出の場所になるようなことは、あるのかもしれない〉
「これは僕も発見でした。特別な場所は誰に与えられるでもなく、自分にとって何があったのかで決まり、そうやって縁は作られていくんだなあと。特に夏子はタクシードライバーだし、今後も増える一方でしょうね。大事な場所が、東京中に、たくさん!」
と聞いて、そっと光る点が間もなく並ぶ地図が思い浮かぶ。その一つ一つを全て肯定できたら何て素敵だろうか。自分のことは自分で決め、運転も自分でする、程よく自己中心なこの夏子という運動体を、一層応援したくなった。
【プロフィール】おのでら・ふみのり/1968年千葉県生まれ。2006年に「裏へ走り蹴り込め」で第86回オール讀物新人賞を受賞、2008年、ポプラ社小説大賞優秀賞受賞作『ROCKER』で単行本デビュー。昨年の本屋大賞第2位に選ばれた『ひと』の他、『みつばの郵便屋さん』シリーズや、『人生は並盛で』『東京放浪』『ひりつく夜の音』『太郎とさくら』『本日も教官なり』『夜の側に立つ』『ライフ』『縁』『今日も町の隅で』『食っちゃ寝て書いて』等、著書多数。175cm、50kg、B型。
構成■橋本紀子 撮影■国府田利光
※週刊ポスト2020年10月2日号