それまで飄々としていた矢野さんの声が少し高く、そして早口になった。なるほど現在20代後半、入社して2年ということは、短大卒男子の矢野さんもこれまでいろいろあったのだろう。そんな彼が小さな会社とはいえ人事を任されているわけで、それで「増上慢」になっているというわけか。口汚く言えば「調子に乗ってる」だろうか。疫禍は持つものと持たざるもの、それはジェフ・ベゾスや孫正義と私たちといった旧来の圧倒的な格差ではない、仕事があるかないか、いや住む家があるかないかといった庶民間の格差であり、安定か不安定かの二択しかない大衆コミュニティの断絶である。コロナ禍で「仕事がない人たち」は、採る気もない兄ちゃんが採用担当をしている小さな会社の事務職正社員に押し寄せ、その兄ちゃん、「矢野面接官」にペコペコしなければならない。特殊な事例でもなく、現にコロナ禍の多くの採用は完全な買い手市場になっている。

「それそれ、面接官っていい響きですよね、私、新卒の時は大手の面接官にムカついたんですよ、まさか自分が面接官になるとはって感じです」

 まだ若いのだから上滑りは仕方がないだろう。新卒時もうまくいかなかったようだ。矢野さんは満足そうだが、私は「面接官」という言葉が嫌いだ。実際、東京大学は「面接員」、企業によっても「面接担当」と呼ぶようにしているところも多いが、新卒・転職サイトや情報誌などはまだまだ「面接官」という呼称だ。そのくせ私もそうだが、「面接官」としての教育など受けたことがない担当者ばかりである。大手は採用側面接に関しても研修や勉強会などあるが、日本全体の企業数で99.7%、従業員数では被雇用者の68.8%(2016年・経済センサス-活動調査)を占める中小企業のほとんどは見様見真似、お気持ち次第で採用面接しているのが現実だ。そして求職者はゲーム感覚の矢野さんみたいな人に品定めをされる。そんなの、申し訳ないが面接官なんてもんじゃない。

「ウチはネット関連もゲーム関連も増収増益です。ネット関係はコロナのおかげで逆に景気が良い。任天堂みたいにはいきませんけど」

 いわゆる「おうち需要」「おこもり需要」というやつか。任天堂の『あつまれ どうぶつの森』の累計販売本数は2240万本である(2021年3月期第1四半期〈2020年4月1日~2020年6月30日〉決算短信)。これほどのキラーコンテンツでなくとも、ゲームやコミック、映像配信といったネット事業を手掛ける会社の多くはこのコロナ禍も堅調である。旧来の接触経済社会とは真逆の業種、コロナによって日本の経済も社会も大きく転換するだろうし、経済産業省もそんな非接触経済社会を推進している。矢野さんの会社は私が知る限り、小さいながらも稼ぎに関しては優良企業だ。だからこそ釈然としない行為、”求職者いじめ”みたいなことはやめたらどうか、矢野さんに率直に投げてみた。

「いや、受けに来る連中なんて入社しない限りウチの会社にも自分にも関係ない存在ですから。一から十までマネタイズできるくらいのスーパーマンならウェルカムですけど、そんなの来ませんね」

 コロナによる買い手市場は採用現場をより杜撰にしている。大量の失業者、年末に向けて日本の失業率は4%台にまで悪化すると指摘する声(第一経済研究所)もある。その予測は残念ながら当たるだろう。外れるにしてもさらに悪い方だ。あのリーマンショックの時期と同じかそれ以上だろう。私見だが、いま会社勤めをされている方々は意地でもしがみついたほうがいい。でないと矢野さんのような無邪気な「神」たちにもてあそばれたあげく、お祈りされ続けるという地獄を味わうことになるだろう。祈られすぎて仏になるほどに。

 終わりの見えないコロナ禍、年末に向けて、すでに求職地獄は始まっている。

●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。近刊『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)寄草。近著『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。

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