「そのとき私は54才でしたが、年齢的にもホステスは無理だと思い、当時、自宅のあった祐天寺駅近くの激安衣料品店『ナンカ堂』でパートを始めました。時給は980円。棚卸しやレジ打ち、いままでそういった仕事をしたことがなかったからすっごく新鮮でした! これが普通の生活だったのか、私のいままでがおかしかったのか、と思ったんです。
梨園のおかみさんというと、いいところのお嬢様の出で、着物を着て気取っているというイメージがあるかもしれませんが、私は自分が時給いくらのパートで働いていることを恥ずかしいと思ったことはありません。劇場のロビーで、ほかのおうちのおかみさんに会っても『私はいま時給3000円で水商売よ』『いまは980円でパートしてるの』と堂々と言っていました」
1年ほどパート勤務を続けていると、とある劇団から「女優に復帰しないか」と声がかかる。女優時代の恩人が関係する劇団ということもあり、舞台にもやはり未練があった盛恵さんはパートをやめ、劇団を手伝うことを決める。しかしそこは泊まり込みで月給10万円。そして、朝もなく夜もなく厳しい稽古が続くという過酷な現場だった。
「自分では、意識していなかったのですが、身も心もボロボロになっていたみたい。ぼーっとすることが多くなり、体調も崩し始めた。そうしたら、見かねた息子が『ママ、もう働かなくていいよ』って言ってくれたんです。正直、ホッとしました。それから、息子はいまにいたるまで、私と真由香を養ってくれているんです」
◆写真提供/河合盛恵さん 取材・文/宇都宮直子
※女性セブン2020年10月22日号