東京の街の成長は30年前に終わっていた
その理由はいくつか考えられる。まずは、黒田日銀総裁が実施した異次元金融緩和によって長期金利はゼロベースに下がった。マンションを購入する際の住宅ローン金利はここ数年、コンマ以下の0.5%前後まで低下。さらには住宅ローン減税をはじめとした実質的な「マンション購入支援」の諸政策が、市場に強力なフォローの風を吹かせた。
また、湾岸エリアで特筆すべきは「このエリアは五輪が開催されることによって近未来には必ず発展する」という、やや根拠の曖昧な楽観予測があったことは否めない。確かに東京の湾岸エリアは五輪ありきで街づくりが進んできたため、消費者側も五輪という付加価値や値上がりを期待して新築のタワマンを購入していた。
しかし、昨年末に出した『ようこそ、2050年の東京へ(イースト新書)』という拙著で詳しく述べたが、東京という街の成長は今から約30年前の1990年でほぼ終わっている。
それから今に至る30年は、成長というよりも成熟の時代だった。その間、新たに開業した地下鉄路線が実質的には3本しかないことが、東京が1990年の時点ですでに完成形になっていたことを示していた。
東京という街に、今後発展するフロンティアは存在しない。しかし、五輪を開催するためには都心からあまり離れていない場所で、それなりのスペースが必要だった。そこで、東京の街が完成したにもかかわらず、都心近辺で取り残されていた広大な遊休地に目がつけられた。それが、湾岸エリアなのである。
例えば、五輪が開催された場合の選手村は閉幕後3年でマンション群に変わる予定である。しかし、そのエリアは東京でもっとも新しい部類の地下鉄路線の駅から近くても徒歩15分、遠いところは20分というマンションにとっては本来不適な場所である。
ところが、五輪の祝祭ムードはそういうマンションへの需要でさえ、一定数のボリュームを湧き出させてしまった。