綿引さんのがんが発覚したのは、2018年8月のこと。子供のいない綿引さんは、13人の子役たちを本当の子供のようにかわいがっていたからこそ、心配をかけたくなかったのだろう。俳優業を続けながらも、2020年2月には人知れず化学療法を始めていた。容体が急変したのは12月25日。その5日後に帰らぬ人になった。がんを患ってからの綿引さんと撮影現場で一緒になった映画関係者は一様に、病気の様子は感じられなかったという。
「綿引さんのシーンの撮影は2019年4月に行われたのですが、綿引さんが膵臓がんだなんて私はまったく知らなかった。台本を一度読めばパッと役が入るんだけど、一言一言のせりふの大切さも深く理解されている、いい役者さんでした」(2019年公開の映画『一粒の麦 荻野吟子の生涯』の監督・山田火砂子さん)
「2019年1月から2月にかけて新潟で撮影をしました。訃報に触れて、あのときは闘病生活に入っていたと知りましたが、そんな様子は微塵も見せていなかった。ご自身の出演シーンがなくても、孫役の子の演技を見守ったり、スタッフに飲み物を差し入れてくれたり。大病を隠して周りに気を使わせないどころか、常に気を使ってくれていました」(2020年公開の映画『瞽女 GOZE』の監督・瀧澤正治さん)
しかし、都内にある綿引さんの自宅の近隣住民たちは、別の姿を見ていた。
「綿引さんは2005年に大動脈瘤を患ってから、健康第一の生活になっていました。家の周りを、足に2kgほどのおもりをつけてウオーキングする姿を何度も見ました。奥様で女優の樫山文枝さん(79才)も、2005年の病気以降は一層、ご主人の食事に気を配ったようです。野菜が苦手な綿引さんに、栄養バランスを考えたメニューを用意していました」(近隣住民)
黙々と歩く綿引さんの姿は、自宅から離れたところでも目撃されていた。綿引さんが贔屓にしていた寿司店の常連客が明かす。
「ご自宅から店まで20分ほどの距離を、おもりをつけて歩いてくるんですよ。健康診断も3か月に1度は受けていると聞いたことがあります。綿引さんは、お父様もがんで苦しんでいましたから、その姿も見てきただけに、自分ががんだとわかったときには、かなりショックを受けたそうです」