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大正時代のエリート受験生が苦慮した、入試で課される「M検」とは

大正時代の受験生たちが苦慮した「M検」とは?(イメージ)

大正時代の受験生たちが苦慮した「M検」とは?(イメージ)

 世は大学受験シーズン真っ只中だが、今から100年ほど前、大正時代の受験生たちは、入試で課される「M検」なるものに苦慮していたようだ。大正時代の文学・文化に詳しいライターで医師の亜留間次郎氏が語る。

「『M検』とは性病検査のことで、受験生が梅毒などにかかっていないか調べるために性器を検査します。『M』が何を意味するかは諸説ありますが、男根を意味する『魔羅(マラ)』からきているという説が有力です」

 読売新聞ではこう回顧されている。

〈昭和三十一年まで、全国の国公私立大では、入試合格者に対して“エム検”が実施された。エムとは往年の俗語で男性自身のこと◆たとえば東大では広大な七徳堂(旧武道場)がエム検会場だった。横に並んだ七、八組の医師・看護婦チームの前に一糸まとわぬ若者数百人が行列したのは壮観だった〉(1993年5月1日付夕刊「よみうり寸評」)

 今では想像しえないような光景だが、M検が行なわれるようになった背景には、当時のエリート高校生や大学生が遊廓遊びにふけり、性病が蔓延していたことがあった。

「明治末期(1906年)に“東大付属高校”と称されていた日本一のエリート校である第一高等学校で健康診断を行なったところ、3分の1の生徒が性病に感染していたという記録があります」(亜留間氏)

 大正時代に入ると、富裕層の子息であるエリート学生たちの放蕩ぶりはエスカレートしたという。

 梅毒や淋病といった性病は、遊廓など花柳界から広がったことから「花柳病」と呼ばれていた。『立身出世と下半身 男子学生の性的身体の管理の歴史』著者で東京経済大学准教授の澁谷知美氏はこう語る。

「そのような花柳病の入学者を排除するために、第一高等学校をはじめエリート養成校ではM検が導入されました。性病に罹患するような行ないをする『不品行な人間』ではないかを判断する目的もありました。M検の男性器露出検査は、集団検診で医師の前で陰茎を露出することが求められ、包皮反転や陰茎圧迫などが行なわれました。包茎だった場合は手術を勧められたそうです。

 M検で医師は垢の有無も目にすることになりますが、垢があると“自分の体に関心がない+性病がない=買春していない証拠”と見なされていたようです」

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