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早熟だった大正時代の学生 37%を占めていた初体験の相手とは

明治・大正期の若者の初体験事情は?(イメージ)

明治・大正期の若者の初体験事情は?(イメージ)

 男女が自由恋愛を謳歌し、風俗文化が花開いた大正時代。その“若き担い手”となったのが、東京帝国大学をはじめとするエリート学生たちだった。

 明治・大正期の若者のセックス事情が窺える記録がある。医師の大野豊太が1908年に調査し、国家医学会で発表した「男子初交年齢員数表」だ。『立身出世と下半身 男子学生の性的身体の管理の歴史』著者で東京経済大学准教授の澁谷知美氏が解説する。

「570人の日本人男性を対象に初体験の年齢を調査したもので、初交年齢が15歳だった者が18人、16歳が37人、17歳が60人、18歳が101人、19歳が76人とあり、18歳が最も多い。童貞喪失の年齢がその頃に集中していることがわかります。

 別の調査で『性交初体験の相手の社会的地位』というものもあり、学生層の初体験の相手として娼婦や芸者などの『クロウト』が約37%を占めていたとありました」

 性愛文化に大きな変化が訪れていた時代、若い男たちも総じて“早熟”だったようだ。

「大半の人が中卒か小卒で働いていた時代だったので、現代の高校生の年齢になると、多くは“社会人”。大学に入れるのは富裕層の子息で、中学や高校の頃から遊廓遊びをするのも珍しいことではなかった」(大正時代の文学・文化に詳しいライターで医師の亜留間次郎氏)

 当時、梅毒や淋病といった性病は、遊廓など花柳界から広がったことから「花柳病」と呼ばれていた。大学受験の際、受験生たちは「M検」と呼ばれる性病検査を受けていたという。

 花柳病にかかるような放蕩学生に対しては、女学生からの風当たりも強かったようだ。

「大正時代には『不品行男性を選ぶな』、つまり花柳病に罹患するような男性を選ぶなという教えを実行しようとする女性たちが登場し、大正10年頃に思想家の平塚らいてうらが『花柳病男子拒婚同盟』という組織を構想しています」(澁谷氏)

 もっとも、男子学生にとっては、そうした女学生は「性愛の対象」ではなかったようだ。風俗史家の下川耿史氏が語る。

「大正時代に女性の社会進出が進んだとはいえ、当時の女学生は数も少なく、高嶺の花の“スーパーお嬢様”。いくらエリートとはいえ、田舎から出てきた男子学生にとっては、海老茶袴の名門女子学生はおいそれと声をかけられる存在ではなかった。むしろ多かったのは、男子学生とカフェーの女給との交際でした。

 東京帝大は本郷周辺、早稲田は新宿、牛込、神楽坂界隈、慶應は芝や銀座というように、それぞれのテリトリーでカフェー通いにいそしんでいた。流行の最先端にあったカフェーの女給と付き合うことは、エリート学生にとっても刺激的なこと。紳士の社交場だったカフェーの大衆化が進んだことも手伝って、大正末期から昭和初期にかけてエリート学生でごった返していました」

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